福知寺(ふくちじ)

福知寺(ふくちじ)

教区 第七教区
本尊 薬師如来
住所 〒693−0033 出雲市知井宮町1254
電話番号 0853−21−2694
FAX番号 0853−21−2691
各種講座
  • 梅花流詠讃歌毎月2回
  • 坐禅会不定期
  • 写経不定期
墓地の募集 あり
年中行事 除夜、歳旦行事(鐘つき、三朝祈祷)
大般若法会
春秋彼岸会
三仏忌各法要(降誕、成道、涅槃)
沿革と縁起  当山の本尊薬師如来は往古[古福知寺伝承時代(真言宗寺院)]幾度か変遷、山門の盛衰もあったが、本尊の霊光は千古変わることがなかった。
【鎌倉時代】当時の地頭・小野氏(神西城主)の祈願寺として篤き護持があったと伝えられている。後、地頭の衰微また山門幾度か火災にあい堂塔伽藍悉く焼失し、本尊は路傍の小堂に雨露を凌ぎ荒廃したと伝えられる。
【戦国時代】東来の一旅僧あり、霊夢の薬師如来に感応し、錫をとどめ止住を決意、十方に勧進し、伽藍を建立して、路傍の小堂から薬師如来を遷座入仏して曹洞宗福知寺を開創した。この旅僧が当寺開山喜山浄慶禅師(後に神西十楽寺第4世となる)で、時恰も織田信長天正7(1579)年10月のことである。
【徳川時代】当山第3世雄堂覚英大和尚の代、文政3(1820)年古りた伽藍を再建整備し中興の祖となる。
【明治・大正時代】当山第11世中興礎山玄昶大和尚の代、30数年に亘り大いに山門興隆に尽力、特に明治40(1907)年東宮殿下山陰行啓の折、当山丘地が御野点所となり、井戸の浄水が御用水となる。以後この丘地一帯が村立真幸ヶ丘公園となる。大正11(1922)年境内地拡張し、新本堂を建立遷座入仏する。
【昭和・現代】第12世春山宥昶和尚の代(玄昶大和尚は本寺十楽寺へ転住同寺第25世となる)は、戦中・戦後の多難な時を経て、昭和38〜9(1963〜4)年の大自然災害後の墓地の造成・移転、昭和53(1978)年当山開創400年慶讃法会を厳修、記念事業として鐘楼建立、大般若経600巻を斎備する。昭和59(1984)年出雲十大薬師霊場8番札所として記念宝塔建立。出雲市真幸ヶ丘公園の拡張にあたり、日本庭園部を境外に誘致し、山門の一大美観となる。平成元(1989)年庫裡改築、研修棟の設置、本堂屋根瓦敷き替え等境内の景観を一新する。現住第13世の代、位牌堂の建立。永代供養塔を発願、施行中。
その他 出雲十大薬師霊場8番札所(真幸薬師)
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