安養寺(あんようじ)

安養寺(あんようじ)

教区 第一教区
住職名 村上正光
本尊 釋迦牟尼仏 阿弥陀如来
住所 〒692−0623 安来市広瀬町布部150
電話番号 0854−36−0019
FAX番号 0854−36−0010
メールアドレス niouzou1123@gmail.com
各種講座
  • 梅花流詠讃歌毎月2回 水曜日と日曜日 午後2時30分〜
  • 坐禅会毎月最終日曜日 午前7時〜8時
    朝粥あり
  • 平成大人の寺小屋委員会法話、寺院視察研修、写経(年4回)、しょうから祭
  • 曹洞宗安養寺婦人会講演会、奉仕活動、寺院視察、坐禅ほか
墓地の募集 あり(残りわずか)
永代供養塔 あり
年中行事 1月  修正会
2月  涅槃会
4月  釈尊降誕会
5月  山門施食会
8月  お盆棚経
9月  地蔵供養
    彼岸会無縁供養
11月  子育地蔵尊例祭
     梅花講員物故者供養
12月  除夜の鐘
沿革と縁起  もとは真言宗の金剛寺という無住のお寺であった。弘法大師が東比田の坊床山へ巡錫の折り立ち寄ったという言い伝えを持つ古寺であった。
 宝暦初頭、ここを愚海魯道(広瀬洞光寺の弟子)という1人の修行僧が訪れ、朝夕の勤行を勤め修行怠らず、次第に村民の帰依を受けつつあった。
 ちょうどこの頃、布部の地で「たたら」(製鉄業)を営み隆盛を極めた家島氏に伝吉則豊という人がいて、この子に嘉文治という病弱の若者がいて、治療の効もなく亡くなった。
 父則豊は一寺を建立しこの子を開基とし、永く菩提を弔わんと発願。たまたま愚海和尚の宿願も知って、ともに力を合わせ、光明山頭に曹洞宗安養寺を完成した。嘉文治は宝暦7(1757)年に歿し、開基となった。愚海和尚は広瀬洞光寺の4世竹堂利賢大和尚を開山に勧請し、自らは2世となった。
 3世龍門和尚は西国三十三ヶ所の観音霊場を巡って土を持ち帰り、観音堂建立を発願。4世養山和尚は意志を実現、観音堂位牌堂を建立した。幕末8世祖関和尚の時門風振るい、参ずる雲水は後を絶つことなかったという。11世道薫和尚、大正15(1926)年に本堂再建。12世大隆和尚、位牌堂再建。14世鐘楼堂新築。15世庫裡再建。
 現在15世正光住職、副住職壮樹が寺院を護持している。護持会長は田村秀美氏。
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