浄心寺(じょうしんじ)

浄心寺(じょうしんじ)

教区 第三教区
住職名 田中信道
本尊 釋迦牟尼仏
住所 〒690-0005 松江市和多見町78
電話番号 0852-21-1615
FAX番号 0852-21-1615
各種講座
  • 写経会月1回で不定
年中行事 1月1日〜3日  修証会 大般若転読
3月23日  春彼岸会
5月8日  花まつり
8月4日  施食会
8月13日〜16日  盆会
9月24日  秋彼岸会
12月12日  開山忌
沿革と縁起  当寺は御舟屋(現在東本町五丁目)の稲荷神社の側にあった鰐渕寺の宿坊とされていた建物を、新田幸大夫という人が現在の地に移転したことから始まる。
 即ち、この御舟屋の土地には、伊勢幸大夫屋敷が存続していた。時の当主新田幸大夫(慶安三年 1650 十月十五日没)は、曹洞宗を信仰していたところから自ら願主となり、藩に願い出て、この宿坊を買い上げ、現在の売布神社前にあった自分の私有地に移し、浄心寺として建立し、清光院三代の高岸栄甫和尚(万治元年 1658 十二月十二日没)を開山に招請し自ら開基となった。
 八代月山桂道和尚(享和元年 1801 三月二十七日没)は、出雲三十三観音霊場の案内書作成を思いつき、自ら巡礼を行い、各霊場の縁起、逸話、行程などをまとめ上げた。それは後に『出雲札所観音霊場記』(二巻)として文化十一年(1814)に出版された。
 なお、『出雲札所観音霊場記』は、『松江市史』(史料編5近世Ⅰ)に収録されている。
 十二代中興金嶺恵文和尚(明治七年 1874 六月十七日没)は、徳川幕府が動揺し世情不安な状況にあった文久元年(1861)に出雲国内外の二千二百有余の社寺に天下泰平・万民安穏を祈願するための額の奉納を始めた。十年後の明治三年(1870)松江市八幡町の平浜八幡宮に満願成就の額(縦約3.3メートル、横約8.1メートル)を奉納。本殿裏に掲額されている。
 ついでながら、この額は、百四十年余りの風雪にさらされて文字は判読できにくい状態であったが、八幡神社遷座九百年の歴史事業として、平成二十五年八月、2年間の修理補完作業によって完全に修復されている。
 十八代重興現応心瑞和尚の代、大正二年(1913)に、本堂北側にあった枯れ花置き場付近から出火し本堂が炎上した。そのため西津田町の禅覚寺の本堂を譲り受け、翌年七月再建、入仏式を行い今日に至っている。
 当寺境内の観音堂には、十一面千手観世音菩薩がご本尊として祀られている。これは御舟屋が夢さとしにより、隠岐から持ち帰り奉安したものとされている。堂宇は歴代住職ではないが、愚峰円如和尚によって、正徳二年(1712)に建立され、以後、幾度か修理補修がなされ、十九代道雲一弘和尚の代、昭和六十二年(1987)に大改修をした。松江観音霊場第十三番札所として、また大漁、海上安穏、交通安全の霊験もあらたかで参拝者も多い。
 山門に掲げられている「普門閣」の額は、曹洞宗の月舟宗胡(1618〜1696)の手によるもので、京都の清水寺の轟門にも同人による同じ額が掲げられている。「普門閣」とは「観音堂」ということである。額が大きくて観音堂に掲げることができないため山門に掲げたといわれている。
 平成二十六年に、児育(こそだて)地蔵尊が建立された。
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