この、ハゲ。

 

「この、ハゲーーーッ!!」

 テレビやネットメディアから、このフレーズを耳にするたびに心胆を寒からしめる。おそらく私だけではないでしょう。AGA患者のみならず、全国の僧侶が戦慄した、今年上半期、屈指の流行語です。

 確かに僧侶である私は、ハゲてます。 

 芸能人やスポーツ選手、一部の政治家が、自身の改悛を最大限に表す時、よく頭を丸めて人前に出ますが、これは古来からの因習、特に姦通罪などの罪人への科罰の名残でしょうし、件の流行語も、発言者の断罪意識の発露・言語化だったと伺えます。
 それと、見るからに毛量優性である発言者にとって、ハゲは劣性であり、社会的な異形、マイノリティだった、という偏見も感じます。政治家に問われる資質に、罪悪やマイノリティへの対処の仕方があると思いますが、政治家である発言者を、その点でも全く評価できない、と言えます。

 ちなみに、ハゲの語源は「剥げる」のようですが、正に化けの皮が剥げ(ハゲ)たのは、発言者である政治家でした。これぞ、巨大ブーメラン。

 それに対して、我々僧侶のハゲは科罰ではないし、圧倒的マジョリティです。

 剃髪(浄髪)は宗教的な誓願の具現です。仏教では髪を煩悩の象徴と見做して、これを自発的に剃り落とすのですが、この髪という名の煩悩は、一度だけ剃ってもまた生え続けます。自覚無自覚に関わらず、小罪(煩悩)は無量です。だからこそ、その度に何度でも剃り、ハゲ続け、誓願し続けるのです。

 ハゲについて個人的な述懐をすると、初めて頭を丸めたのは中学入学の時。当時、男児は全員丸坊主でした。今は人権問題と見なされているようですが、確かに当時は強制的に丸坊主にさせられるのが嫌でした。
 その反動で高校に入ってからは、前髪を眉下まで伸ばし、毛質が柔らかったこともあって、当時活躍していた俳優の吉田栄作さんのようなヘアスタイルになりたくて、毎朝髪をブローしてスプレーで固めてから通学してました。しかし片道自転車で30分の道のり、学校に着くまでに風雨にさらされてスプレー効果は剥がれ、校門に至る頃には、ペッタリした柔毛は吉田栄作というより宅八郎。そんなことを三年間毎日続けていました。これぞ不毛の努力。

 大学で仏教系の寮に入ったのをキッカケに頭を丸めて四半世紀、自発的にハゲを続けているのは、不毛な高校時代の疲弊を経て、ハゲてる気楽さを痛感しているからです。

 拙文の最後に、同い年でもある件の発言者に、当欄2回連続登場、鴨長明の、珠玉の金言を送りたいと思います。
「剃りたきは心の中の乱れ髪 つむりの髪はとにもかくにも」

(教化主事 板倉省吾)

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