「ことば・表現・差別」再考を読んで(西古人権主事)

「ことば・表現・差別」再考を読んで

 先日、表題の本を購入しました。
 
 読み進めていくと、表現の気づきを沢山感じました。
 「時間がないので、てみじかに」
 皆さんもよく使う言葉だと思います。他にも身体の一部を使った言葉は数知れずあります。例えば、「足(車)がない」「足がある(速い)「(甘いものには)目がない」「手も足もでない」「(忙しくてそこまで)手が回らない」「(借金で)首が回らない」などなど。または「徒歩〇分」や「足元の悪い中…」の是非が話題になることもあるようです。
普段何気なく使っている言葉一つ一つ、使うときに様々な配慮をしなければならないことを感じます。
ここで筆者はちょっとした発見があったと述べています。
もし何かしらの障害を持っている人が言葉を作っていたとしたら「てみじかに」や「目がない」などという言葉は創作しなかったのではないか。同様に女性が漢字を作っていたら、「姑(しゅうとめ)」などにはなっていなかったのではないかと。
つまり言葉や漢字は、健常者と男(強者)の主導で創作されてきたのではないかと述べていました。
この「健常者と男(強者)の主導」という部分は、今の社会でも「言葉」や「漢字」だけでなく、様々な分野で「強者」の論理によって導かれていることもあるなと私も感じます。
そしてここまで聞くと、「何にも話すことができないよ」となるかもしれません。本当表現というのは難しいものです。しかし「難しい」で終わらせるのは簡単です。
普段何気なく使っている「言葉」。丁寧に使うと相手を喜ばせ、自分も幸せになる。しかしその「言葉」で相手が傷つくことも…。
私も日頃から「言葉」を意識して使うこと、心掛けていきたいと思います。

 
(人権擁護推進主事 西古孝志)

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