『イライラしない』(佐野書記)

 ストレス社会といわれて、いったいどのくらい経つのだろうか。朝起きて寝不足にイライラ、車に乗ってイライラ、物事がうまくいかなくてイライラ…。また、長期化するコロナ禍において、人々は寛容さを失い、イライラを募らせている。
 
 昨年の秋、私も所属しているいずも曹洞宗青年会において怒りに関する研修会が開催された。それまで私は、「怒っている人が多くて困ったものだ。」と世をはかなんでいた。しかし、研修会には、「私は怒りに無関係なのに、なぜ参加しなければならないのか?」と多少イライラしながら参加した。
 
 研修会参加前までは、「世の中には短気な人間がなんと多いことか」と自分とは無縁の世界の話のように感じ、温厚な自分は怒りによるトラブルを起こさないし、巻き込まれもしないはずだと高をくくっていた。

 しかし、それはあまりにも甘い認識であったと言わざるを得なかった。

 研修会中の「このような場面であなたの怒り指数はどのくらい?」という設問で、私の怒り指数は、他の参加者を圧倒する高いものであった。お店でレジに並ぶときや車の運転中など、振り返ってみればよく今までトラブルや事故がなかったものだと(実際にはトラブルはあったかもしれないが…)我ながら感心した。
 
 また、ある調査では約8割の人がコロナ禍でストレスを感じているそうだ。心がすり減ってしまえば、平時では制御できていた怒りが爆発しやすくなるのは容易に理解できる。
 つまり、自分のことを温厚な人間だと過信していた私のような人間であっても、コロナ禍で知らず知らずにストレスで心がむしばまれている可能性が高いそうだ。
 
 怒りの最強の護身術は、制御することだそうだ。上手な怒り方を身に着けることだ。「怒り」自体は、人間にとって自然な感情であり、むしろこれを無理に押さえつけるのは、よくないそうだ。怒ることは、悪くない。怒り続けることが、よくないだけだ。ギスギスした世の中を生き抜くには、他人に迷惑をかけず、わが身を滅ぼすことのない上手な怒り方を身に着ける必要がある。

「すべての現象には原因がある」という仏教の考え方を応用すれば、怒りの結果をもたらした原因があるはずだ。そして、その原因が分かれば、原因をなくすこと、あるいは何らかの手立てをすることによって、結果をよい方向に変えていくことができるはずだ。

 今、抱えているイライラにも原因がある。その原因を突き止め、何らかの対処をすれば、イライラは解消することができるはずだ。

 怒りを制御できていない私がいくら述べても説得力はない。短期間で短気な性格を改善する。どうか目くじらを立てずにご寛容いただきたい。

書記 佐野晃孝

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