『釈尊祈りの地ブッダガヤと霊鷲山(釈尊伝Ⅱ)』~Buddhist Circuit Trainの旅~(堀江副所長)

『釈尊祈りの地ブッダガヤと霊鷲山(釈尊伝Ⅱ)』
               ~Buddhist Circuit Trainの旅~

前回の続き

 ニューデリーから約1,050㎞快適な約18時間の列車の旅でガヤ(Gaya)に到着後午前中に釈尊成道(じょうどう)のきっかけとなったスジャータ乳粥供養のスジャータ村を訪れた後、一端当日の宿泊予定のホテルでランチと休憩に寄りました。
 個人的には今回のツアーで一番気に掛かっていたのがインドでの食事でした。約30年前にはまだ狂犬病の予防接種をして初めてインドを訪れた時にはツアー事態の日程が強行軍でもあった事もあり時々お腹の調子が悪くなり、とにかくスパイスを多様した味付けとインディカ米と呼ばれるパサパサのお米は苦手でした。しかし、今回のツアーで利用するホテルはすべてバイキング形式でツアー参加者54名中14名の中国(広東)からの参加者でもあり、バイキングには必ず中国風のご飯(お粥)や水餃子など十分日本人にも対応出来る食材でもあり、ネパールでは日本系列のホテルでもあり巻き寿司や何故か味噌汁まであり食事には全く困る事はありませんでした。

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マハボディ寺院(大菩薩寺)正面入り


マハボディ寺院(大菩薩寺)の仏塔

 ランチ後に向かったのがガヤ市内南部にある釈尊八大聖地の中でも最高の聖地とされ、紀元前3世紀頃にアショカ王の建立とされる寺院を起源とするブッダガヤに向かいました。中心には高さ52mのマハボディ寺院(MahabodhiTemple・大菩薩寺)とインドでは神聖な木とされるピッパラ樹の下に坐して瞑想に入り悟りに達して仏陀となったとの故事によりその木を以後菩提樹と呼ばれるようになった木(何代目かの)があります。また、そのまわりには日本寺をはじめタイ寺、ネパール寺、チベット寺などの各国寺院があり総称してブッダガヤと言っています。さすがに仏教聖地とも言われるように世界各国から人種や国を超えた仏教徒が参拝に訪れており、寺院内各所に場所を構えてタイの上座部系の人やチベット仏教系など寺院内すべてが祈りの場となっていました。ただ、日本人の姿はほとんど目にする事はありませんでした。

ピッパラ樹(菩提樹)


マハボディ寺院(大菩薩寺)の周りは祈りの場

 途中、日本寺にも参拝して来ました。この印度山日本寺は公益財団法人国際仏教振興教会が運営する超宗派の仏教寺院で日本からは宗派を超えた僧侶が在中をしており、私が訪れた数日前までは臨済宗の僧侶が在中してたそうです。


印度山日本寺

印度山日本寺について

 インドの人口約13億人の80%はヒンドゥー教徒です。ヒンドゥー教は飲酒については非常に厳しく、完全に禁酒とまでは行きませんが人前で公然と飲酒する事は大いにはばかれています。外国人も自室やホテルのレストランで大人としてのエチケットを守って窘める程度のようです。インド在住の日本人によると町中で酒屋を見つける事は至難の業の様で町中の裏通りで、日本で言えばパチンコ屋の景品引換所のような店で酒瓶を新聞紙で包んで売ってくれるそうです。当然ビールも冷えていないそうです。ところが、ブッダガヤのあるビハール州では州法で禁酒とされており酒屋どころかホテルの自室での飲酒も禁止されています。飲酒はピハール州を出るまで我慢です。


霊鷲山の祭壇を仰ぎ見る


霊鷲山では世界中から仏教徒が集まり祈りを捧げる

インドに入国して3日目になりました。早朝から車に揺られてラジギール(王舎城・ラージャグリハ)へ向かう。ラジギールは釈尊存命中はマガタ国の首都でもあり当時の国王ビンビサーラ王の帰依を受け、釈尊が最も長くいた土地でもあり王宮後方の山腹の霊鷲山(りょうじゅせん・Grdhrakuta)で教化と瞑想に耽ったと言われている。現在の霊鷲山には山頂までリフトが整備されており山頂には日蓮系の仏塔が建立されており山頂から少し降りたマガタ国の旧王宮を眺める場所には霊鷲山の祭壇がある。さほど大きな場所ではないがそこには世界中から仏教徒が集い中国系の大乗仏教徒もタイの上座部系もチベット仏教徒も全く同一の釈尊の弟子として一心に祈りを捧げていた。
 昼食は何と日本の法華ホテル系列ホテルのレストランで味噌汁やせん茶もありました。中国人は味噌汁を飲む事はまずありませんが、中国人に試しに味見だけはと進めました、ところ「美味的!(meiw de・美味しい)」と結構受けがよく、みんな親指を立てて「グー」と評判でしたが、ただし、ティ-カップではなく味噌汁椀で飲んでほしかった。

日系ホテル(法華ホテル)では味噌汁が出てきた


かなり公園化された竹林精舎

 昼食後は最初の仏教寺院があったとされる竹林精舎(ちくりんしょうじゃ・Venuvana vihara)を訪ねるが、仏跡と言うか単なる公園のように整備されていた。公園の入り口には例によって屋台のインドチャイ屋があった。インドと言えば是非飲んでみたいのがインドチャイだが、インドがイギリス(大英帝国時代)の植民地であった頃には上質の紅茶はすべてイギリスに運ばれてしまい、残った低品質の紅茶を何とか美味しく飲む方法はないかと、カルダモン(ショウガ系のスパイス)やシナモンなど混ぜて牛乳やお砂糖で味を調えた紅茶でこれを飲むとインドを実感する。ただ、釈尊はこのインドチャイの味は知らないと思います。一杯10ルピー(日本円で約14円)だったが、現地人は3ルピー(日本円約4円)何と外国人価格があったのか、それともふっかけられたのか?


インド国内どこでも見かけるインドチャイ屋さん

 ガイドから次ぎに行く所は広いから早く行こうとせかされて行ったのが、ナーランダ大学跡だった。5世紀初頭、王舎城(ラージギル)の近郊に創建された仏教大学跡で世界最初の大学とも言われ、釈尊の教えを仏教教壇としての集大成化と実践がなされた所で、5~12世紀には最も栄え、現在約6分の1しか発掘調査が進んでいなとの事で現状を見ても往時は数千人の僧侶が学んでい大規模な学問寺院てす。6世紀頃には中国明代の「西遊記」に出てくる三蔵法師(玄奘・げんじょ)やチベットに釈尊の教えを伝えたカドマ・サンハァバァなど仏教の教えを世界中に広めた場所でもあります。


ナーランダの全景(発掘調査された部分のみ)


ナーランダ大学の講堂後と思われる


ガヤ駅で発車を待つ Buddhist Circuit Train

 3日目の夕食はガヤ駅に停車中の列車内で済まし、次の目的地バラナシ(旧ベナレス)に向かいます。予定では夜11時頃にガヤ駅を出発して翌朝バラナシ到着が午前7時頃着で車内で朝食後にサルナートへとの予定となっていました。しかし、ガヤからバラナシまで約250㎞を列車での所要時間が約8時間!この区間は本線でもあり飛ばせば約4時間でも十分なはずです。続行列車もあり徐行運転は不可能でどうしてもおかしいと思い納得が出来ませんでした。主催者であるIRC(インド国鉄)の担当者に問い合わせをした処、その運行時間のカラクリ(?)が判明したので、バラナシ到着前に一時ツアーの本体と分かれてオプショナルツアーを計画しました。インドへ行ったら是非バラナシで経験したいヒンズー教とガンガー(ガンジス河)との繋がりを実感できるオプショナルツアーは次回に!

堀江晴俊副所長

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