アイドル イズ ・・・(教化主事)

    私のお寺は「除夜の鐘つき」に大勢の参拝があるため、大晦日に家族で年越のテレビ番組をゆっくり観る習慣がないのですが、それでも元旦の昼過ぎ頃から、大晦日の歌番組や格闘技、お笑い番組などの話題が耳に入ってきます。
    年が明けて、私が思わず情報の後追いをしたのが、『紅白歌合戦』。それも、引退する安室奈美恵さんではなく、それまであまり興味のなかったアイドルグループ『欅坂46』の出演場面でした。

「ダンスを終えた後、メンバーの数名が過呼吸になって倒れた」

 
    最初、情報サイトの文字情報として触れた時は「倒れたと言っても、その場にうずくまった程度だろう」とタカを括っていましたが、動画サイトでその場面を観て、あまりの光景に息を呑んでしまいました。
    「スゴイものを見た」と思った瞬間、私の右手はすぐにリピートボタンを押していました。そして幾度となく動画を見た後、事もあろうにこれが『紅白歌合戦』という、一年で最も老若男女が安穏とし切った瞬間にマスコミュニケーションされたことに、戦慄しました。

 
    その後にメンバーが無事回復したから言えますが、過呼吸で倒れたメンバーが、まるで一瞬にして全ての糸が切れたマリオネットのように、無意識の顔面を露わにしながら全身をくねらせて後方に倒れ込み、それをメンバーが必死に抱きとめる刹那、私にはそれがまるでピエタ(処刑されたキリストの亡骸を抱く聖母マリアを表現した宗教画や彫刻)や神降ろしに見えたのです。もしかしたら宗教の歴史における奇蹟の発生も斯くの如しか、と思わされました。

    「アイドル(idol)」とは、今となってはいわゆる和製英語として認知されていますが、元々は「偶像」の意味で、盲目的信仰の対象のことです。そして信仰を伝える教えや媒体があり(音楽や踊り)、信仰・熱狂する人たちが共同体を形成する(ファンやオタク)。実は、アイドルはその周辺も含めて、構造が宗教と似ています。
    そしてこの構造の中心にいる教祖やカリスマは、いつでも信者の関心や体験を凌駕し続けなければいけません。アイドルが「やりすぎ」と思われるほどの過剰なパフォーマンスを更新するのは、それがファンへの惜しみない「ギフト」(霊的贈与、キリスト教の愛、仏教の慈悲や法施)の賜物だからです。

 
  実はこの「過呼吸」は、欅坂46をはじめとした『48グループ』の〝お家芸〟で、AKB48のドキュメンタリー映画を観ると、幕間でメンバーがバタバタと倒れる様子が描かれています。でも今回は倒れた状況と倒れ方がすごかった。
    もちろん、メンバーはワザと演じて倒れたわけではありません。むしろ無作為だからこそ、今回起きた奇蹟の「求心力のビッグバン」がとてつもないのです。おそらく、従来のファン心理はより強固になり、そして新たに興味を持った人には崇高な原体験なったに違いありません。

 
    一方、世界的ブレイクを果たしたアイドル『BABYMETAL』の「狐憑き」というコンセプトはかなり作為的ではあります。しかし、古くは卑弥呼や出雲阿国、または近代における新宗教の教祖たちなど、大衆を魅惑する「日本のカリスマ的アイドル」の歴史をなぞるようでもあり、音楽がトランスを導くために、秀逸な仕掛けであると言えます。ちなみに、宗務所書記の上野師はメイト(BABYMETALの熱狂的なファン)。彼の熱心な布教で、宗務所若手職員の間でも、BABYMETALが大人気です。

    そんなアニミズム隆盛のアイドルシーン?ではありますが、私個人は、より創唱宗教的というか人間主義的というか、作詞と振り付けを自分たちでして、コンプレックスやルサンチマンを撒き散らすBiSHやBiSといったWACK勢にハマっています。人間、前向きじゃなくても生きてていいんだ、って思えます。先日、宗務所で隣席の梅花主事にBiSHを聴かせましたが、「わたはもう(これ以上聴くのは)結構です」と言われました。まあ人それぞれ好み、機根がありますので。世界宗教の多様性も、斯くの如し。

 
    改めて思うに、私も含めた市井の並み居る実際の宗教者は、惜しみなくギフトできているか。もしかして、その点に関してはアイドルに敵わないのかもしれません。(教化主事 板倉省吾)

追記:本稿の推敲中にも、BiSのプー・ルイが卒業発表、BABYMETALのバンドメンバーの急逝、そしてももクロのももかが卒業と大きなニュースが続き、アイドルシーンは年明けから会者定離、諸行無常の様相です。上記の奇蹟と同じように、こうした試練や通過儀礼を経ることも、アイドルの求心力と無関係ではないでしょう。

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