了知寺(りょうちじ)

了知寺(りょうちじ)

教区 第二教区
住職名 浪花芳明
本尊 聖観世音菩薩
住所 〒699−0205 松江市玉湯町大谷122
電話番号 0852−62−1924
FAX番号 0852−62−1924
メールアドレス ryoutiji@orange.plala.or.jp
墓地の募集 あり(残りわずか)
年中行事 1月  大般若祈祷
7月  山門施食会
8月  盆中棚経
沿革と縁起  天文元(1532)年、洞光寺3世文室恵才大和尚は別所字寺の空に了知寺を創設、元禄元(1688)年、8世通山自円和尚は大谷の現在地に了知寺を再建する。寛政7(1795)年、15世正覚眠山和尚は了知寺庫裡を修復再建。天保15(1844)年、17世聯芳道梅和尚は本堂を再建。昭和35(1960)年、23世東開秀禅和尚は本堂の屋根を修復。
 了知寺は下大谷にあって「雲陽誌」には「禅宗金王山という。本尊観音」とし「雲州万記録」には了知寺と記し、4間に6間、御免地上畠2反1畝歩、境内15間に12間と記した。

【鑢製鉄事業について】
 当寺あるいは藩の産業振興政策等によったものか、当山においても鑢(たたら)製鉄事業が計画された。即ち享保元文ごろ(1720年頃)寺の西谷において鑢製鉄事業に着手、幾たびかの試行錯誤の後ついに成功。以後代々の住職は本事業に勢力を傾注し、之による収益をもって寺院の経営にあたり、また檀家農民の福利に務めた。この事業は江戸末期まで続いたと考えられるが記録等が無いので詳細は不明である。
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