完全寺(がんぜんじ)

完全寺(がんぜんじ)

教区 宗務所直轄教区
本尊 薬師如来
住所 〒685−0022 隠岐郡隠岐の島町今津505−1
電話番号 08512-2-0719
FAX番号 08512-2-2968
年中行事 1月1日〜3日  転読大般若祈祷
1月4日  年始回り
1月16日 念仏会(初祈祷)
2月3日  節分星祭り
4月20日〜21日  八十八箇所お大師祭り
5月8日  花祭り
8月7日  施食会
8月10日〜15日  盂蘭盆の棚経
8月16日  仏様海送り
8月20日〜21日  八十八箇所お大師祭り
12月31日  除夜の鐘
沿革と縁起  当寺は慶長元(1596)年、八田村(現在、隠岐の島町常北町地内)護国寺住職大渓和尚の開基とされ、飯尾山完全寺と称し、薬師如来を本尊とする曹洞宗の古刹である。
 原名を願善寺と称したが、後年完全寺に改称された。
 飯尾山完全寺と称されるのは、開基当初は飯ノ山北麓の八田村に向いた位置に置かれていたと考察される。今でもその場所は寺床と称し、礎石が残っている。
 現在地に移された年代は不詳だが、開基以来、村民の帰依厚く、信仰の中心であった。
 明治2(1869)年、廃仏毀釈により焼却され、廃滅されたが、同12(1879)年再興を許され、復興の機運を迎え、同23(1890)年新たに現在地に本堂を建立し、村民の信仰を集めている。
 旧寺院は、現本堂の東南の隣接地にあったが、焼却後の跡地に小学校が建設されたため、現在地に移ったものである。
 その後、小学校が移転し空地となっていたのを平成21(2009)年、隠岐の島町から買い取り、同23(2011)年、庫裡を建設して現在に至っている。

 明治初年、隠岐に廃仏論が捲き起こった際、当山の住職大谷洞岳和尚は、島内寺院取締り(護国寺代理として)の任にあり、激しい廃仏運動に対抗して、島内各寺院に呼びかけ、自ら陣頭に立って反対運動を展開したため、廃仏派の激しい反発を誘い、遂に混乱状態となった。
 この為、和尚は官命により、厳しい謹慎を命ぜられた。更に、身辺の危険を感じ、密かに島外へ脱出の止むなきに至った。
 廃仏運動も治まり、完全寺再興の後、和尚は再び当地に来住し、明治43(1910)年此所において波乱の一生を終った。

※本文は郷土史研究者、故・服部守一氏の記録を一部引用したものである。
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