晋叟寺(しんそうじ)

晋叟寺(しんそうじ)

教区 第八教区
本尊 阿彌陀如来
住所 〒699−1832 仁多郡奥出雲町横田1289
電話番号 0854−52−0589
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  • 坐禅会休止中
年中行事 施食会
沿革と縁起 源頼朝が鎌倉開幕以前の文治元年(1185)諸国に守護地頭を置いた。近江源氏佐々木義清、出雲守護代となった。それにより木曽源氏飯島氏が信州から下降し三沢要害山に館して天正17年(1589)まで、約300年に亘って仁多郡内を支配した。これが三沢氏でその墓提所である。
 初代為仲公が下降15年にして、正和5年(1316)卆去、黙堂宗心和尚を開祖として下阿井(仁多町)井土に禅隆寺が開創された。元中元年(1384)時の出雲守護山名満幸、禅隆寺を下横田に移し妙泉寺とし、名応8年(1499)さらに角村に移したと。

 永正6年(1509)八代為忠公、仙洞領横田荘の守護を拝し、藤ケ瀬山に館し、現在地の裏山で火葬し、妙泉寺を移して、その法名、萬松院殿晋叟覚永大居士に因み、晋叟寺を建立した。
 天正17年(1589)十四代為虎公、毛利氏に従い仁多の地を去り、当時は外護を失った。元和6年(1620)八世さま遷化後は、外護も資続もなく40年間無住となった。
 堀尾、京極と国主二氏の後、寛永15年(1638)松平直政公が松江入府、検地に際し九世長岩和尚願出て復興を認められ、十一世代に完成。
 復興以来、当山の護持は本寺総光寺と共に藩の外護を得、横田、鳥上、八川の地域支持を受けて来た。
 現在の伽藍は十八世黙宗来応和尚の功により文政9年(1826)9月落慶、棟梁は松江吉田喜八郎、門弟由五郎、塗師和田見町菊五郎、枠千之介とある。
 八代公の墓は、本堂裏にあり、代々の霊碑は、明和5年(1726)布部家島家の奉安である。
 迎拝の山号額は中國明末清初の鼓山の住、為霖道沛筆。
 聨は、永平玄透禅師の嗣、慧門禅智師で、優鉢花香編大千世界、菩提樹長影遮億萬人天
 また、現在、曹洞宗認可参禅道場である。
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