「おかげさま」 副所長 楫野光範

最近は、お参りの方から「子どもには迷惑をかけたくない。そろそろ自分のことは、始末しておきたい」という話しをよく聞くようになりました。「でも、子どもさんが一人前になるまでは、あなたが面倒をみてあげたじゃないですか。世話になるのはお互いでしょう。遠慮するからじゃないですか」などとお茶を飲みながら話すのですが、どうも納得がいかないようです。子どもが幸せならいいという優しさはまことにいいのですが、年齢を重ねるとともに不安と淋しさが多くなって来ます。少子高齢化、過疎化が続くこの地方の現実なのでしょう。とにかく人間ですから誰かにお世話になったり、お世話をしたりして生活しています。お互いおかげさまなのです。

私達はよく「おかげさまで何とか元気になりました」「おかげさまで合格しました」などと言いますが、見えなくなったところ、外から見えない隠れたところが陰だとすれば仏様や神様の見えない力を貰うことがおかげさまなのかもしれません。自然のパワーや人様の心や力を貰うこともおかげさまではないでしょうか。

 先祖様は姿形は見えませんが手を合わせて念ずればおかげさまの智慧や力を授けて下さることにも繋がるのではないでしょうか。

 12月10日で4年間の宗務所の任務を終ることとなりました。その間多くの方と出会うことができ、ご協力、ご支援をいただきましたことに感謝でいっぱいです。おかげさまの気持ちを持ちながら退任できることに厚くお礼申上げます。ありがとうございました。

 宗務所行政のさらなる充実発展と、管内ご寺院様の益々の寺門興隆、檀信徒の皆さまのご多幸をご祈念申し上げます。

村と街(過疎と過密)は私の永遠のテーマであります。

 <6首>

 難(むずか)しい顔がならんでいる会議窓の向こうの空は秋色

 なんとも靴が冷たい音を立てビルの谷間に流れ込む朝

 妖しげなビルの谷間に酔わされて赤いグラスを私もつかむ

 もしかして龍宮なのかもしれぬビルの谷間の夢物語

 この村の大きな出来ごと樫の葉がお腹(なか)を見せてころがっている

 ただ今しわくちゃだらけの風呂敷を結ばにゃならぬ人生なのです

 

(副所長 楫野光範)

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