「恋よ、来い!」(佐野書記)

 「恋よ、来い!」

 最近、「待つ」行為を楽しめているだろうか?イライラしていないだろうか?秋深し、暮れの秋、冬隣、十一月中旬となると誰もが気ぜわしくなる。忙しいことが美徳とされる現代において、悠長に「待つ」ことは、なかなか難しい。
しかし、‘待つうちが花’という言葉があるように待っている時間は案外楽しい。今を生きる僧侶の私だが、たまにはまだ来ぬ未来を想像することもある。
 

まだ来ぬ未来を夢想している私だが、周囲は今日か明日かと待っていることがある。結婚だ。周囲の期待に応えようと「婚活」実践中の私だが、いまだに成果がないのはなぜなのか。
ここで改めて婚活中に実践すべきルールや法則、テクニックを検証してみたい。
 
検証1 
「押してダメなら引いてみる」
 
ぐっと気持ちを抑えて、ちょっと様子を見る。つまり、「待つ」ことだ。
しかし、LINE(ライン)やメールが来ない、電話も無いって一生来ない気がする。どうせならとことん押してみた方がいいのではと思う。大相撲解説のある親方も「とにかく前へ!引くな、押せっ!」とよく力説されている。

検証2
「当たって砕けろ」

よく言われる言葉である。‘恋愛なら直球勝負!’と。
しかし、砕けては元も子もない。砕けるための婚活ではない。私は「もう四〇歳」ではあるが、「まだ四〇歳」でもある。人生はまだ長い。したがって今、砕けるわけにはいかない。それに、あるプロ野球の解説者も「直球勝負にこだわらずに」とよく力説されている。

検証3
「きたかぜとたいよう」

北風と太陽が、旅人のマントをどちらが脱がせられるかを競うイソップ童話だ。風でマントを吹き飛ばそうとする北風の行動は単純で分かりやすいが、人につらい思いをさせるし、失敗する。
結婚するべきだとか幸せな生き方はこうあるべきだという思い込みは強い。だが、そんな思い込みがなければ、‘自分はこんなはずではない’と、理想とのギャップで苦しむこともない。太陽のように自然な形でマントを脱がせることが求められる。手っ取り早く乱暴な働きかけよりも、自ら考えて行動できる環境が重要である。
しかし、太陽のような言動は北風に比べて分かりにくい傾向にあるし、伝わらなければ意味がない。「きたかぜとたいよう」は、様々な思い込みに気付くきっかけでもある。

まとめ
「恋よ、来い!」。

待つことは、準備することでもある。勝負までの待ち時間、大相撲の力士なら支度部屋での準備であり、プロ野球のピッチャーならブルペンでの投球練習の時間が大切である。

私の書記の任期はあと三年である。任期中に吉報はあるのだろうか?
一体いつになったら、‘待てど暮らせど’から‘待ちに待った’となるのだろうか?周囲に気を持たせているが、一番待っているのはやはり私自身である…。

書記 佐野晃孝

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