廃仏とヘイト(板倉教化主事)

8月31日の現職研修会で、民俗学者の畑中章宏さんに「災害・怪異・観音」と題した講義を頂きました。特に十一面観音の「水神」としての性格を踏まえた上で、水害供養との密接な関係についても詳しくご教授を頂きました。
折しも8月末の全国的な豪雨災害や、関東地方を中心とした台風15号による災害など、自然災害が頻発する中での受講となり、私たちも、改めて居住まいを正して聴かざるを得ない状況になってしまいました。

さて、現職研修会の翌朝、沖の島にフィールドワークに向かわれる畑中さんを、七類港までお送りさせて頂きました。お伺いすると「廃仏毀釈」に関する調査、とのことでした。

一昨年の現職研修会で講師をお勤め頂いた鵜飼秀徳さんも、昨年末に廃仏毀釈についてまとめた『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』を上梓されています。
映画『天気の子』の公式ガイドに寄稿したり、近著『死者の民主主義』では人形浄瑠璃とVtuberの相関性についても考察をされている畑中さんのことなので、明治時代の廃仏毀釈によって照出される現代的なテーマがあるのではないか。
私は自身の思い当たりを確かめるべく、車中で畑中さんに「廃仏毀釈は、現代で言えば〝ヘイト〟に当たるんでしょうか」と尋ねてみました。畑中さんの答えは「そうかもしれませんね」と、正誤は分からない相槌のような反応ではありましたが、私はそのように仮定するとつじつまが合うような気がしました。

ヘイト(スピーチ、クライムなど)とは、「憎悪する」「特定の属性を持つ個人や集団に対して、偏見や憎悪が元で引き起こされる嫌がらせの言動や暴力行為」と定義され、現代では「ある(政治的)目的のために仮想敵を設定する」こと、とも言えそうですが、その仮想敵に、かつて仏教者自身がなっていたとするならば、現代に生きる私たちにとっても看過できない「温故知新」のテーマとならないでしょうか。

隠岐では、苛烈な廃仏毀釈の後、一部では仏教への回帰も見られました。昨年宗務所のホームページで紹介した久養寺跡も、その一例でしょう。(https://sotozen-shima2.jp/news/4306/)私は、苛烈な廃仏への反省や悔恨が、久養寺を再興する動機の一つにあったように思えてなりません。
また、我が国最古級ともいわれ、霊験あらたかとして島内外からのお参りが絶えない都万目地区の「あごなし地蔵」も、廃仏で大変ない厄災を被った中、必死で護持されてきたことが、遠く離れた大阪・豊中市の曹洞宗寺院、東光院さんの縁起から伺うことができます。(https://www.haginotera.or.jp/outline/history_ep04.php)ヘイトに遭った先人の労苦を、偲ばずにはおれません。

奇しくも、先日ある僧侶がヘイトツイートをしたということで、所属する教団が公式に謝罪するというニュースがありました。当該の僧侶は、ヘイトされる当事者としての立場を、歴史から学ぶところがなかった、ということになってしまいます。

現在、畑中さんは廃仏毀釈に関する著作を準備中とのことでした。上梓された際には、謹んで拝読し、学びたいと思います。(教化主事 記)

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