江ノ電10㎞の奇跡~(人権擁護推進主事)

檀信徒本山研修を楽しみにしながら 併せて想い巡りました

『江ノ電10㎞の奇跡 人々はなぜひきつけられるのか?』読後雑記

 

 本年の檀信徒本山研修会への参加申込み締切りが迫ってきました。ご参加の皆さまと共に、大本山總持寺は申すまでもなく、自然に包まれた古刹最乗寺と、内山愚童師ゆかりの林泉寺、夫々の参拝での心機心境に臨みたいですし、観光の江ノ島・鎌倉や伊東温泉への期待も少なくありません。

 私は、僧侶として皆さまとの出合いに恵まれる迄の40年近く、某企業に勤務しました。その勤務で、新入社員教育期間に逗留したのが鎌倉(由比ガ浜)にあった社員寮です。いまは亡き寮母さんは心温かな仏教信者でしたから、相変わらず未熟な私のことを苦笑しながら浄土で見守って呉れているように思います。

 ですから鎌倉を訪れるときは、慌ただしく廻ったり通り過ぎるのではなく、じっくりと過ごしたくもなります。与謝野晶子の詠みようで申しますと、鎌倉に“おわします”のは大仏さまだけではなくて、諸仏諸菩薩、諸寺社です。その宗教都市、心の都市を駆け足ではもったいないと思います。鎌倉下向で北条氏の申出を固辞なさり、越前に帰寺なされた道元禅師をおもんみますと、腰を据えることはないのかも知れませんが・・・。

 半世紀前、新人教育の折りには、鎌倉と江の島の間を走るローカル線江ノ電を利用することが少なくありませんでした。一畑電鉄や、嘗ての京福電鉄の路線にも似て、家並みの間を曲り抜けて走る車体に親しみを感じたものです。現在の江ノ電は、例えば我が世代が惹き込まれた黒澤映画「天国と地獄」にポールの擦れる音とともに登場した車体ではありませんが、新しい江ノ電を利用し檀信徒の皆さまと鎌倉をブラリ観光してみたい気持ちも拭えません。

 その江ノ島電鉄株式会社の経営姿勢を、前社長深谷研二氏が著書『江ノ電10㎞の奇跡(人々はなぜひきつけられるのか?)』〔東洋経済新報社〕に著わしています。それは、現地現場を大切にして、路線に向かい語り掛けるように辿る「鉄道屋の心」を以って臨む姿勢で、広域で複雑な路線網を諸分野の技術力など駆使して営業する先端企業の経営スタイルよりも身近に理解・共感できる経営観です。転読ふうに引用します・・・『鉄道で何よりも大切な安全は、鉄道員の心意気で保たれている・・乗客たちに思いを致し、地域の人々を慮(おもんばか)って・・・今日も安全のために心血を注いでいく。安全に快適を加えて安心となる。鉄道員は日々の安心へと心を込める』

 技術者でもある氏は、社長時代(2008~2014年)の年末には必ず江ノ電路線全行程10㎞の線路上を自らの脚で歩いて点検したというのです。僅か10㎞だからできることだと高を括るのではなく、小規模ゆえの妙味として受け止めたい姿勢です(ちなみに、一畑電鉄の路線総距離は凡そ42㎞です)。効率や収益重視の戦略術とは異なる、氏の心と姿勢には、寺院運営、特に寺院と檀信徒との向き合い方への示唆が秘められているのではないでしょうか。鉄道企業の公共性と、宗教法人の公益性とを考量するまでもなく、鉄道を仏道へと読み替え、足許を、地場を考えてみようと思います。そうです・・・仏道も、乗る人の安心(あんじん)への道筋ですから。

 檀信徒の皆さまと寺院の関係が変わりつつあるといわれますし、実感もします。それは人口や世帯の減少と高齢化、価値観の多様化・流動化、総じて、社会・経済の成熟ないし縮小など諸相と無縁ではなく、足許の寺院運営においても放置できぬ変貌ですから、寺檀の関係を維持し、むしろ新たに展開するように取り組まなければなりません。私にとっての、その有力な端緒の一つが、深谷氏の経営姿勢に求められるように思えます。もちろん、個別寺院の事情等に応じて、手掛かりや展開は幾通りもありましょう。

 その(私の)場合、あらゆる手段や仕組み、特に先進的な諸手法を駆使することは個人的に困難ですから、劇作家平田オリザ氏が著書『下り坂をそろそろと下る』〔講談社現代新書〕で唱える「寛容と包摂」の心で檀信徒の方々と、深谷氏の如く直に向き合う、必ずしも効率的とは思えない取組みに努めたいと思います。それができているか、またはできるかと問われますと、答えに窮しますが、いろんな示唆を探し求めながら努めたいと思います。

 

 

 

   本山研修に次いで参拝する最乗寺で、西日本では逢えない山百合(ヤマユリ)と

   向き合えれば嬉しいのですが・・・6月下旬ですから楽しみです。

 

      写真;多摩市植物友の会編「多摩市の植物(野草編)」から

                               (人権擁護推進主事 山口完爾)

ページトップに戻る