過疎問題に特効薬はあるか(板倉教化主事)

 先日の1月21日に、「過疎化に対して曹洞宗教団が取るべき政策の在り方 現地調査」という会議がありました。

 この席には、平成29年12月末に曹洞宗内局より曹洞宗総合研究センター(以下、総研)へ諮問された「過疎化に対して曹洞宗教団が取るべき政策の在り方」の担当部局から2名が来所。宗務所管内からは各教区長、宗務所役職員のほか、全国曹洞宗青年会(以下、全曹青)会長で、施政方針として過疎対策を掲げた原知昭師(第一教区・宗見寺住職)、また総研の委託委員として当該諮問の答申作成に関与し、また全曹青でも過疎対策担当として会務に当たっている堀江紀宏師(第八教区・洞光寺副住職)も加わって、各々の意見を交換しました。

 総研とは別に、昨年度から曹洞宗内にも「過疎地域等における宗門寺院の問題に関する対策準備室」が設置され、こちらは昨年、島根県第一宗務所で実地と聞き取りの調査を行なっています。

 総研はこの3月いっぱいで答申をまとめて内局に提出する予定ですが、その基調については、堀江師が全曹青の機関紙『SOUSEI』に寄稿された文と通底していると思われますので、ご参照下さい。(『SOUSEI』186号 https://www.sousei.gr.jp/?p=10937

 

 総研としては、過疎問題そのものは社会問題であり、一教団の政策如何で解消されるものではない。その上で、最も合理的な政策があるとすれば、寺院合併ということになるが、地域社会の安心の所在としての寺院の安定や活性化を図ることを優先し、積極的な寺院合併は望ましくない、という立場のようでした。

 これを受けて、「現場の意見」を求められた当宗務所関係者からは、零細寺院の活動実態、無住寺院の管理、離郷檀信徒との関わり、後継者の確保(寺檀ともに)、寺院間の格差是正、宗費の減免、教師資格取得のための安居歴の軽減、尼僧の育成と活用などについて意見が寄せられました。

 

 さて、私がこの会議の端々に感じられたのは、「過疎問題」の背景にある根強い「寺院格差」の問題です。

 会議で宗務所側から上がった意見は、そのことを背景にしていると捉えると、通底した基調が伺えます。過疎地寺院の住職家族は生活することの不安を訴え、宗門に対して生活水準の安定を求めており、更なる視線の先には、経営基盤の安定した寺院との比較があるのです。

 その方策として、宗門で「ベーシックインカム」を導入する意見もあるようです。これもある段階においては有効な手立てにもなるかもしれませんが、おそらく、大寺院の中にはこれに反対して、単立化するところも出てくるでしょう。

 「日本一の過疎県」とも言われる島根県ですが、管内の実情で言うと、松江市と出雲市は総務省が定める「過疎関係市町村」ではありません(旧美保関町、佐多町、湖陵町は除く)。

 両市内の寺院数は、合わせておよそ100。管内寺院が全部で203ヶ寺ですから、過疎地寺院の割合はおよそ5割ということになります(第一宗務所管内は全ての自治体が過疎関係市町村)。このことは、過疎問題について管内でも寺院の立地によって濃淡があることを伺わせます。

 困る人もいるが、一方で全く困らない人もいる。「過疎問題」が混迷する本質がここにあります。

 

 「臨済将軍 曹洞土民」との例えもあるように、地方を中心に広まった曹洞宗だからこそ、過疎問題に取り組む意義があるとの指摘もあります。確かにもっともな知見ではありますが、しかし実際の宗門機構は「中央集権的」です。

 曹洞宗は江戸幕府の宗教統制以降、僧録や本末制度による中央集権が固定化しています。

 他宗の多くが本山の所在地に宗務院や宗務庁と言われる包括法人の本部を置く中、曹洞宗は本山とは別の所在地である東京に宗務庁を置いている、そして未だ、宗務庁発行の寺院住所録の記載順が東京宗務所から始まって、明治以降の開創寺院が多い北海道で終わっているのが、その証左ではないでしょうか。

 そしてこれまでにも、曹洞宗は「都市開教」を命題としており、總持寺の鶴見移転の際も正にそれが唱導され、各管区の教化センターの設立理念も同様です。今後はそれをインフラ整備も含めた地方教化に方針転換出来るでしょうか。

 私は難しいと思いますし、都市を本拠地とした包括法人が、優先的にマクロ政策に取り組むこと自体は、正当なことで間違いとは言えないと思います。

 こういった構造を持つ曹洞宗が、「過疎問題」に政策として出来ることは、極めて少ないと、浅見せざるを得ません。

 

 そもそも、一般行政おける「過疎問題」の対策は「人口の過度の減少を防止するとともに地域社会の基盤を強化し、住民福祉の向上と地域格差の是正に寄与する」、そして「我が国が全体として多様で変化に富んだ、美しく風格ある国土となっていくことに寄与する」ことを目的としており(総務省の「過疎対策の沿革」より)、堀江師がレポートでも指摘している通り、「自立促進」が目標設定となりつつあります。これを寺院に置き換えると、

①寺院活動を活性化させる

②寺院間格差を是正する

③各地方や各寺院が自立的に運営され、宗門としての多様性が生まれる

 つまり宗門としてはこれらを反映する政策を施行し、過疎地寺院が、ある段階からは宗門に依存することなく、個別もしくは地域互助によって、活性化して自立的に活動していくことが目標になるでしょうか。

 ただし、現状でも包括法人に依存せず、活発な活動をしている過疎地の宗侶や寺院があることを踏まえると、益々宗門として出来ることは限られてくるようにも思います。

 

 私は、過疎地の寺院が存続していくかどうかは、住職やその家族もさることながら、地域社会を形成する檀信徒がそれを望むかどうかにかかっていると思います。そして、その意志に宗門が対応できるかどうかが今後問われるのではないでしょうか。

 そのことに関して、管内の隠岐の島の事例を挙げたいところですが、字数も多くなりましたので、次回に譲りたいと思います。

 

 なにやら悲観的な文言を並べてしまいましたが、こういった現状からのスタートだということを踏まえ認めないと、前向きで実効性のある手立てにもならないのではないか、というのが私の認識です。

 いずれにしても、原師や堀江師が中央の要路でこの難題に取り組むことは、地方の声を届けるためにも重要なことですし、座してばかりではなく実際にアクションを起こしたことに敬意を示し、宗務所としても応援し、協力したいと考えます。(教化主事 板倉省吾)

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