十楽寺(じゅうらくじ)

十楽寺(じゅうらくじ)

教区 第七教区
住職名 伊藤隆邦
本尊 阿弥陀如来立像(三尺阿弥陀)
住所 〒699−0823 出雲市東神西町1038
電話番号 0853−43−1006
FAX番号 0853−43−0339
メールアドレス jyuraku@atbb.ne.jp
各種講座
  • 梅花流詠讃歌第1グループ 第1水曜日
    第2グループ 第3金曜日
  • 婦人会偶数月第1土曜日 午後2時
  • 日曜礼拝毎週日曜日 午前8時20分から8時50分まで
永代供養塔 あり
年中行事 大晦日・元旦  除夜の鐘を撞くかい・元日祈祷会
3月末 日曜日  大般若・涅槃会
         その年小学校に上る児童の祈祷と稚児行道
5月 第2日曜日  花まつり
8月 盆の後の土曜日  施食会
12月 第1日曜日  開山忌・歳晩忌
沿革と縁起  当寺は、貞応2(1223)年、鎌倉幕府の任命により赴任した地頭職・小野高通が鎌倉の常楽寺を移転し、その後真宗に改宗するに際し、常の字を十にあらため現在の寺号となったとされるが史実は明らかでない。ただ、本尊阿弥陀如来像は浄土真宗であったことを物語るものであり、小野高通が鎌倉から持ち帰ったと伝えられる釈迦牟尼佛座像(平安末期の作品)は当山内佛の本尊として祀られている。
小野高通は日御碕小野家の系譜にあるとされるが、当地では神西三郎左右衛門を名乗り、約350年の間勢力を張っていた。神西家12代 神西元通は戦国の武将として尼子氏に従い、兵庫県上月城で自害し神西家は断絶した。
 開基 神西三郎左右衛門(小野高通) 十楽寺殿西山有方大居士
 天文年中(16世紀初め)越山祐超和尚により曹洞宗として再興されたが、江戸幕府の宗教統制により、寛文年中(17世紀末)越山和尚を開闢とし、松江洞光寺第2世天麟星壺和尚を開山として拝請した。この統制により当寺は末寺二十数ヶ寺を有することとなった。
 寛政年中(1800)14世志道和尚により改築されたのが現在の本堂である。明治の宗教改革により、無住の末寺十数ヶ寺を合併しその本尊さまを観音堂に合祀した。

  天文年間からの住持は現董で二十七世。 平成二十七年記
その他 【寺宝】
開闢越山祐超和尚肖像        昭和35年出雲市指定文化財
本尊阿弥陀如来像(通称三尺阿弥陀) 平成27年出雲市指定文化財
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