蓮花寺(れんげじ)

蓮花寺(れんげじ)

教区 第八教区
住職名 佐々木泰道
本尊 十一面観世音菩薩
住所 〒699−1224 雲南市大東町東阿用183
電話番号 0854-43-4634
FAX番号 0854-43-4634
年中行事 9月第3日曜日  山門恒規法要(転読大般若・檀信徒総回向)
8月20日夕方より  秋葉三尺大権現法要
沿革と縁起 【由緒・歴史】
 江戸時代の寛政年間(1789~1800)に記された「出雲観音霊場記」には次のように記されている。「大原郡東阿用村明峰山蓮花寺、根本堂三間四面にして西向きなり、本尊十一面観世音守は賢門子の御作なり、二の坐像にして古来より秘佛の霊像たり、往古は天台宗なりしが中古より曹洞宗となり融山大祝禅師の開き給う山とかや、古より不思議の霊山なり」と。
 蓮花寺は標高300メートルの高所にあり、出雲三十三番観音霊場の第十四番札所である。また、昔から霊験あらたかな古刹として、当病平癒無病息災等の祈祷祈願を行う祈祷寺でもある。昭和40年代後期頃まで、境内には札打ちの霊場巡りの人が泊まる宿屋があり、また本堂に籠って願をかけたり、お百度参りされる石見部県外の檀信徒信者も多かった。
 蓮花寺の歴史は古く、寺伝によれば奈良時代前期の天平年間(729~748)行基菩薩が開創、又は奈良時代後期の延暦年間(782~805)伝教大師が開創したとも伝えられている。
 南北朝時代の正平年間(1346~1369)大東庄南北を領していた土屋氏及び伊藤氏が伯耆の名和氏と相呼応し、蓮花寺城に拠って勤王の兵を挙げた事が伝えられている。
 これによって一時期衰退したが、室町時代初期の応永年間(1394~1427)今から約600年位前、本寺善明寺開山総光寺八世「融山大祝禅師」が再興された。また、蓮花寺は昔天台宗の大寺で一山に十二坊を有する大刹であったという。
 戦国時代の室町時代永正五年(1508)阿用城城主の桜井宗的が立てこもる磨石城は、尼子経久により攻め落とされた。その際、蓮花寺の古事録も磨石城と共に兵火に焼かれ焼失したという。その後、天台宗より曹洞宗に改め法灯絶えることなく今日に至っている。


【山号・寺号の由来】
 古伝によれば昼は瑞雲たなびき、夜は光明輝き、観音様がこの山に移りたいとのお告げを感じ、元の低い場所より現在地に本堂を移転建立され、山号を「明峰山」とされた。又、周囲の山々が蓮華の花咲くような山並みだったので、寺号を「蓮華寺」とされた。後に「蓮花寺」と改められたと言い伝えられている。


【御本尊】
 本尊の十一面観世音菩薩は仏師賢門師の作で戦国時代の焼失も免れ、33年毎に御開扉される坐像の秘仏霊像である。(近年の御開帳法要は昭和25年、昭和58年、平成28年厳修)本尊の両脇立は不動明王と毘沙門天王である。


【本堂】
 現在の蓮花寺本堂は江戸時代の文政11年(1828年)、当山六世完戒秀全和尚の代に再建された。その後、明治末期の明治43年(1910年)、十三世弘済義仁和尚の代に、単層屋根から現在の重層入母屋造りにされた。そして大正末期より昭和初年にかけて萱葺きから現在の瓦敷きに屋根替えされた。本堂内部は総欅造りの荘厳な古代寺院建築様式が用いられており、当時の宮大工棟梁の技術水準の高さが伺える。


【その他、境内佛等】
秋葉三尺坊大権現 ・・・ 寛政9年(1797年)静岡の可睡斎より勧請された天狗の秘佛であり、毎年8月20日夜に祈祷大祭がある。

奥の院護符井戸 ・・・ 昭和60年島根県名水百選「歴史の泉」に選定。井戸の霊水は古来より皮膚病や一切諸病の薬水として、ご利益のある清水とされている。

鐘楼門(山門) ・・・ 明治28年(1895年)に建立された山門を兼ねた鐘楼門。中には出雲観音霊場三十三番札所全寺院の御本尊画像が安置されている。

弘法大師石仏 ・・・ 当山に登る坂道や境内等には、四国八十八ヶ所札所の全寺院名が記載された弘法大師の石仏がある。四国霊場を巡拝すると同じご利益功徳があるとされている。

山 桜 ・・・ 社日大明神の後ろ側には山桜(平成24年雲南市桜百選一本木の部指定)直径約2m、幹回り約4m、樹齢不詳の古木がある。

標 高 ・・・ 蓮花寺300m、くのじ山展望台320m、山城跡磨石山309m。


【定例祭】
・定例山門恒期法要(大般若祈祷、檀信徒総回向)は、毎年九月第三日曜日に厳修
その他 出雲三十三番観音霊場第十四番札所
ページトップに戻る