光明寺(こうみょうじ)
教区 | 第八教区 |
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住職名 | 杉原顕道 |
本尊 | 華厳釈迦牟尼仏 |
住所 | 〒699−1123 雲南市加茂町大竹292 |
電話番号 | 0854-49-6565 |
FAX番号 | 0854-49-6565 |
メールアドレス | asyura-s@bs.kkm.ne.jp |
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沿革と縁起 | 大嶽山光明寺は加茂町の中心地帯の国道54号線柳橋停留所から西方4キロに聳える海抜322メートルの大竹山の中腹に位置し、風光明媚で眺望絶佳、春の桜、秋の紅葉、四季を通じての雲海が見られる出雲観音霊場の第七番札所として一年中参詣者や行楽客の絶えない寺である。 当寺の創建は古く、奈良、平安の昔にまで遡ると云われるが、幾度かの火災により寺伝や古記録は悉く焼失して詳細は不明である。しかし、霊場記等の記述や口伝によれば、大宝元(701)年道昭上人中興とあり、大同二(807)年弘法大師の随徒月桂上人留錫再興とある。その跡として山門下に樹齢1000年余りの幹元が大きく空洞になった、通称「山伏塚」の名で親しまれ歯痛に霊験あると云う欅の老株がある。このことなどから、既にこの頃から山岳信仰の聖域として開創されていたものと推察される。更にその後、源頼光の一族、渡邊綱が覚了入道と号して諸国を巡り、その途次、枕木山に留まること2年、夜毎に遠く西南方角に火柱立つのを訝しみ、尋ね来りて七堂伽藍を再建し一族を麓に住ませたと云い、その末裔渡部家は代々茅葺き屋根の煙り出し穴を塞がなければならないのが家訓であった。 このほか光明寺から見える場所では鍛冶屋は成り立たないの言い伝えを産んだ御丈が1丈3尺5寸(台座から測り約6メートル)の本尊十一面観世音菩薩像の金鎖談義など本尊や寺に纏わる因縁話は枚挙にいとまがない。 このように、往古より平城天皇勅願道場として五七桐紋を賜り連綿として光明護国密寺の法灯を守り続けてきた当寺も、すでに約500年前には禅宗寺院に改宗されていたようである。このことは、寺宝で国重文の朝鮮渡来「新羅鐘」の追刻銘文(明応元年光明禅寺)によって明らかである。 なお、現在の曹洞宗寺院としての開山義天文祝大和尚は本寺長谷寺の二世で、現董大光顕道和尚は数えて二十四世守塔に当たる。 幾代経ん 大嶽山の観世音 神代も今も 誓い変わらず! |
その他 | 出雲観音霊場第七番札所 |