常福寺(じょうふくじ)

常福寺(じょうふくじ)

教区 第一教区
住職名 芳川隆弘
本尊 十一面観世音菩薩
住所 〒692−0731 安来市広瀬町西比田1386
電話番号 0854−34−0258
FAX番号 0854−34−0258
各種講座
  • 梅花流詠讃歌不定期
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  • 写経不定期
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墓地の募集 あり
沿革と縁起 当山は戦国時代に中国地方の覇権をめぐる尼子氏と毛利氏の戦いの最中に開創された。当時の安来市広瀬町西比田の地は交通の要所であり、また良質の鉄が産出するたたら製鉄の中心地であった。そこで、毛利元就の次男である吉川元春は、比田を尼子攻撃の毛利勢の拠点とするため砦を築き、民心を安定させるため、自らが深く帰依していた咲巖宗誾大和尚を花谷山大龍寺(邑南町)より招きよせ、御開山とし自身が開基となり常福寺を建立したと伝えられている。
 当山の御開山である咲巖宗誾大和尚は行学一如、学徳兼備の高僧にして、『日本洞上聯燈録』第九の所載に「龍文雲庵秀龍法嗣、石州大龍寺笑岩宗誾。邑智郡佐波の人(中略)その徳風名聲を慕い、雲石二州の僧俗帰依すること猶万水の谷に赴くが如し、防州吉川元春及び元長(元春の子)遠来して授戒問法、弟子の礼を執る」とあり、また「団扇帚用」などの著述がある。
 常福寺は創建当初、金屋子神社の南方に位置する小高い丘(西比田黒田地区の寺坂)にあったと伝えられている。残念ながら常福寺は正徳年間(1711〜1715)に全山焼失し、現在地に13世から15世の時代に伽藍の再建を行っている。現在の伽藍は、本堂、位牌堂、観音堂、山門、稲荷合社、庫裏、研修棟が整備されている。
 正徳年間の火災により、吉川元春公由来となるものは聖観音像と厨子(千手観音、脇立持国天、多聞天、大黒天、弁財天、両扉に不動明王、愛染明王)のみが残っている。吉川元春公はこの厨子を戦勝祈願のため戦場などに常に持ち歩いていたと伝えられている。
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