弘安寺(こうあんじ)

弘安寺(こうあんじ)

教区 第八教区
住職名 岩田泰成
本尊 釈迦牟尼仏
住所 〒699−1206 雲南市大東町南村319
電話番号 0854-43-5748
FAX番号 0854-43-5764
メールアドレス kouanji@hotaru.yoitoko.jp
各種講座
  • 梅花流詠讃歌毎月1回
墓地の募集 あり
年中行事 毎月17日 観音講

1月1日〜3日  修正会
1月2日  新年賀会
2月3日  節分会
2月15日  涅槃会
3月29日  大般若会・彼岸法要
4月  海潮観音まつり
4月・9月  出雲観音霊場札所巡拝
6月  施食会・塔婆供養
8月15日  秋葉まつり
12月8日  成道会
12月31日  除夜の鐘
沿革と縁起  弘安寺は、もと法相宗松渓院と号し安来市広瀬町にあり、天平十一(739)年に開かれた。尼子時代には経久公の祈願所として旧能義郡内、伯耆にかなりの寺領を持っていたと伝えられている。
 十七世まで続いたが、十八世に至り応永五(1398)年、仁多町亀嵩・總光寺二世春庭見芳大和尚を迎え開山とし、曹洞宗に改宗した。
 尼子氏の衰退に伴い尼子十旗の第五に挙げられた大東町海潮(現・海潮)三笠城城主・牛尾遠江守幸清により寺基を現在地に移し、その後、牛尾弾正忠を再開基とし牛尾氏の菩提寺となった。
 富田落城後、尼子再興をめざして京都で尼子勝久を擁して旗揚げした山中鹿之介らと出雲へ進攻した弾正忠は、同族でありながら毛利に降りた牛尾豊前守の居城・高平城を攻めるも、援軍の毛利勢の猛攻に遭い、元亀元年4月、三笠城は落城した(三笠落城は『陰徳太平記』等による)。牛尾氏の落亡によって殿堂の半ばを失い、金峰山弘安寺と寺名を改めたと寺伝に記されている。牛尾姓は、現在でも県内をはじめ関西、関東方面にも多く点在している。
 本堂東側にある、出雲観音霊場第十五番札所の観音堂は、明治十一年の再建であり、重層寄棟造りで中世の仏殿の様式を伝えている。堂内中央には、養老元(717)年加賀白山を開かれた泰澄大師の作で、白山宮の白山権現と同木同彫といわれる秘仏十一面観世音菩薩が祀られ、越前大野郷より「大悲不思議の霊告を蒙り此の地に来居し給う」と寺伝に記されている。
 堂内左側には、もと松渓院のご本尊であった聖観世音菩薩が祀られている。ほぼ等身大であるが尊顔や胸まわりなど太造りの造形をもち、身体の根幹部を正中線で左右に材を矧ぐ造りは十世紀後半以降に見られるが、制作年代は定朝様が地方に浸透する以前、十一世紀の制作と考えられる。
 天井には、堀江有聲の龍が描かれ、壁面には有聲や京都清水寺貫主・故大西良慶大僧正の額などが掲げられている。
その他 出雲観音霊場第十五番札所
ページトップに戻る