本願寺(ほんがんじ)

本願寺(ほんがんじ)

教区 第七教区
住職名 恒松道保
本尊 薬師如来
住所 〒699−0904 出雲市多伎町口田儀874-1
電話番号 0853−86−2284
FAX番号 0853−86−2284
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沿革と縁起 1.応永元(1393)年秀関和尚が坊床の地(中郷、一説には竹の上)に厳青山本願寺を創建し、本尊薬師如来を奉り、子院12の子坊が建った
2.臨済宗建仁寺派に属していたが、3世住職(年代不詳)の時、曹洞宗に改宗し出雲市神西町の十楽寺の末寺となった。
3.応永の頃、秀関和尚は朝鮮国高麗に渡り、梵鐘、?鉢、聖観世音菩薩の座像、と自分の像を作らせ、持ち帰った。
4.持ち帰った聖観世音菩薩像は、県の指定文化財に指定された。
5.梵鐘は慶長14(1609)年国主堀尾吉晴が松江城へ備え付けのため、?鉢と共に微し、その代償として、大年谷で田地1段歩を与え、永久免租とした。
6.梵鐘は寛永15(1638)年松平直政が出雲藩主として入城し、城にあるのは良くないとのことで臨済宗天倫寺(松江市)に寄付した、明治42(1909)年9月丙種国宝に指定された。
7.いつのころか、坊床から、角倉へ移転し跡地は畑となった。文政年間(1818年〜1829年)に火災にあい堂宇が全焼したので、文政8年現在の地へ移転再建した。
※12の子院のなかで、分かっているのは、光福寺、能堂寺(能正寺)、桂正庵、桂林庵、桂雲院、慈眼寺、大将寺、である。
 現存しているのは、能正寺(浄土真宗)桂正庵は飯石郡吉田村田部家から懇望され同村へ移転し田部家の菩提寺となっている。桂林庵は移転して本願寺堂内の釈迦堂となり、桂雲庵は無縁堂として田儀川尻の地へ移転再建したが、慶応4(1868)年山陰道鎮撫使が松江藩へ出向の時取り壊した。光福寺(中郷)、寺廻(竹の上)、大将地(川西)などの地名が残っている。
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