洞光寺(とうこうじ)

洞光寺(とうこうじ)

教区 第三教区
住職名 諏訪文哉
本尊 釈迦牟尼仏
住所 〒690-0057
島根県松江市新町832
電話番号 0852-21-5807
ホームページ http://www.matsutou.net/
各種講座
  • 梅花流御詠歌毎月第2・4月曜日
     夜7時30分〜9時
    毎月第2・4火曜日
     午前10時〜11時30分(初心者)
     午後1時30分~3時
  • 坐禅会毎月第2金曜日
     夜7時30分~9時
  • 写経毎月第2水曜日
     午前10時~12時
  • 写仏毎月2回(金曜日と日曜日)
    金曜日 午前10時~11時30分
    日曜日 午後1時30分~3時
墓地の募集 あり
永代供養塔 あり
年中行事 大般若修証会(1月1日〜3日)
釈尊涅槃会 おねはん(2月15日)
山内春彼岸会(彼岸中日 春分の日 午後1時)
釈尊降誕会 花まつり(4月8日)
山門盂蘭盆大施食会 おせがき(8月8日 午前9時)
山門秋彼岸会・永代供養合同慰霊祭(彼岸中日 秋分の日 午前9時30分)
開山忌(10月1日)
釈尊成道会(12月8日) (12月7日午後・夜〜8日午前 臘八摂心)
除夜の鐘(12月31日)
沿革と縁起 この洞光寺は元々、広瀬の富田月山城の下、新宮村金尾の地にあったと伝えられる。時はまさに今から約五百数十年前の戦国時代、その戦国大名の一人「毛利元就」の好敵手、尼子家を開基とするお寺がこの洞光寺である。尼子家の祖先はその当時、近江国(今の滋賀県)犬上郡甲良荘尼子郷の地を分与された京極高久で、尼子の名はこの地に由来し、この高久の次男、持久が出雲守護代として富田城に入り、出雲尼子の祖といわれる。
それから七十年後、京都を動乱の巷にする「応仁の乱」が勃発し、尼子清定は勢力を拡大し、京極氏の元に預けられていた息子の経久の時代には、永正十五年(1518)飯石郡の赤穴氏を屈服させてほぼその出雲平定は完了し、近隣の備後、伯備、安芸、石見にも支配領域を拡大し、最盛期には隠岐、因幡、備中、備前、美作、播磨の国人までもよしみを通じていた。この経久も一度は城を追われ、文明十八年(1486)正月元旦奇策を用いて富田城を奪回したが、その潜伏中に伯州、今の倉吉の定光寺住職、大拙真雄禅師のもとに参禅し、深く帰依した。その後、城を取り戻し、亡き父の志を継ぎ、金尾の地に新しく一字を建立し、さきの大拙真雄禅師を請して亡父清定の冥福を祈り、寺号を金華山洞光寺と称して尼子氏の菩提寺とした。経久の孫晴久の頃には領内の曹洞宗の僧録(禅院の僧事を統括する僧職)であったという。
永禄九年(1566)富田城落城し、その後毛利元就は寺領百貫文余を寄進し、代々厚く当寺を外護した。天下分け目の関ヶ原の戦いの年、慶長五年(1600)に堀尾吉晴が富田城に入り、松江移城(慶長十二年 1607 着工、十六年完成)に伴い、慶長十三年(1608)の秋、当寺七世嶺頭正碵和尚の時伽藍を松江に移転した。
松江に城が移って以後、寛永年中松平直政公入国以来、寺領を寄進されている。下って文化十四年一月十八日(1817)不測の炎に罹り焼失し、弘化二年(1845)当寺二十四世中興佛州観教和尚の代に再建し、現在に至っている。
境内には薬師堂がある。本堂の本尊様はお釈迦様だが、洞光寺の起こりは実はここに納まっていた薬師如来さまである。二寸五分ほどの小さい尊蔵で閻浮檀金でできたものである。閻浮とは樹木の名で、閻浮檀金とは閻浮樹林中を流れる河より採れる金のことである。
その昔、保元年中(1156〜1158)平の勇将、悪七郎兵衛景清が、富田城を築いた時眼病に苦しんだことがあり、この薬師さまをまつって祈ったところ、忽ち眼病が治ったそうである。それ以来、本尊として城中の一角に安置して祀った。その後、尼子経久が城に入り、経久が病気に悩んだときにこのお薬師さまに祈願を込めたところ、奇異の霊夢により全快したという。その後また霊夢あり、「我を平生みだりに拝してはいけない。深く秘蔵せよ。」とのお告げがあり、四寸五分の尊蔵を刻み、その胎内佛として境内金尾という所に堂宇を建立し安置し、堀尾氏松江築城の折、洞光寺とともに境内に移し、現在の建物は、現住の祖父 三十七世絶巖獨照和尚のとき、昭和十一年に隣の坐禅堂と共に再建している。
現住職は三十九世で、出雲部一帯には二十四ヶ寺の末寺を有している。
その他 ・本堂を正面に見て、左手に本格的な坐禅堂あり。
・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)ゆかりの寺(著書「日本の面影」に紹介)。
・雑賀小学校創立の地
 (明治五年 1872 学制が敷かれ、同六年四月二十日洞光寺庫裏を借りて第一中学校区第一番小学校である「雑賀小学校」が開校された。)
・山陰家庭学院発祥の地
 (明治三十四年 1901 四月三日 当山坐禅堂を借用して「山陰慈育家庭学院」(現在の社会福祉法人 山陰家庭学院)が創立された。)
・十一面観世音菩薩奉安 永代供養廟
 (広瀬に生まれ、松江開府と共に歩む、尼子清定・経久公開基の寺、洞光寺。小泉八雲の愛した寺で永代にわたって供養。)
・十二支地蔵尊
・仏足跡
・半七地蔵尊
・水子地蔵尊
・洞光寺会館(専用番号 0852-67-1348)
 (会館葬・自宅葬・寺院葬/宗派を問わず各種儀式に対応/24時間・年中無休)
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