神光寺(しんこうじ)
教区 | 第六教区 |
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住職名 | 渡部卓史 |
本尊 | 釋迦牟尼仏 |
住所 | 〒699−0711 出雲市大社町杵築南736 |
電話番号 | 0853-53-2557 |
FAX番号 | 0853-53-5720 |
メールアドレス | bokuann@crux.ocn.ne.jp |
各種講座 |
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墓地の募集 | あり |
永代供養塔 | あり |
年中行事 | 1月 1日~3日 三朝祈祷 1月 最終土曜 開山忌 3月 春分の日 涅槃会 4月 第3日曜 花祭り(大社仏教会主催) 7月2日 十四柱慰霊法要(戦没者慰霊祭) 7月29日 鎮守和霊明神大祭 8月15日 初盆精霊施餓鬼会 9月23日 山門施餓鬼 12月 第2日曜 納め観音法要 |
沿革と縁起 | 山号 不老山 開山 貞治年中(約650年前)、悦堂常喜禅師(大本山總持寺開山瑩山禅師三世の法裔、實法良秀禅師の第一哲)の開山 貞治年中、悦堂常喜禅師が、大社町修理免弥山山麓より北に約1キロ(徒歩約30分)谷間を登った所(通称、坊床)に伽藍を創建し、不老山神光寺と号す。そして、大檀那出雲国造千家・北島両家の帰崇を得て、仏道霊場として栄えた。 12世玄誉和尚代、天正年中(約430年前)大洪水の為に、山は砕け伽藍は残らず崩壊し、よって山麓(現在の子安寺の位置)に移転再建するに至っております。旧跡を坊床と称しているのは、坊舎の在った由来を物語っており、当時の礎石、石垣等が今なお残っている。 17世元宅和尚代、慶安元年6月21日(356年前)再び豪雨にあい、伽藍等全て流失してしまう。ここにおいて、慶安2年8月15日(351年前)松平出羽守より、御絵図裏書証文を以って、境内地として、杵築大鳥居の東方の三角地462間を賜わり、此処を自費開墾し移転する。即ち現在地なり。 慶安年中から寛文年中(約330年前)にわたり、18世風月和尚代に、本堂・庫裡・山門・禅堂・衆寮などの伽藍を建立する。 22世月峰和尚代、延享元年8月(260年前)、風難の為に山門が倒壊し、さらに同歴2年12月には火災が発生し本堂・庫裡・禅堂など一切を焼失する。寛延元年(256年前)庫裡が落成。 25世雪山和尚代、寛政5年10月(210年前)本堂が再建落成し、さらに廊下・土蔵等の建築が終わり、享和3年(200年前)開山堂が落慶する。即ち現今の本堂・開山堂はこれである。 寛文年中、経蔵(3間4面、八角形の一切経輪蔵)を出雲大社より移して、境内に建造してあったが、31世霊瑞和尚代、明治6年6月(130年前)火災に遭い、堂宇経巻一切を失う。 36世清巌和尚代、大正13年8月、化城門・斎路(参道)が完成。 【末寺一覧】 天徳寺(2世代、廃寺) 潮音寺(4世代、大社町中村) 法海寺(5世代、大社町赤塚) 菩薩寺(6世代、廃寺) 聖財寺(7世代、廃寺) 西光寺(8世代、大社町、玄光院) 荘厳寺(10世代、大社町遥堪) 西蓮寺(13世代、大社町山根通り) 妙相寺(15世代、斐川町直江) 薬師寺(15世代、出雲市高松) 文珠院(16世代、大社町鷺浦) 観音寺(16世代、平田市猪目) 【付記】 以上は、当寺の明細帳をもとにしてまとめたものですが、何分と長い時間を経ており、不明のものが多々あります。又、現在残っている資料についても充分に検討しておりません。この寺の長い歴史の流れの中には、興味ある話が沢山あります。何れ腰を落ちつけて、判明する限り、考証してみたいと思っております。その折は又駄文を連ねさして頂きたいと存じます。 昭和四十九年八月三十八世説康記(平成十六年十一月資料更新) |