松源寺(しょうげんじ)
教区 | 第一教区 |
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住職名 | 佐瀬宏洋 |
本尊 | 釋迦牟尼仏 |
住所 | 〒692−0011 安来市安来町1446 |
電話番号 | 0854−22−2548 |
FAX番号 | 0854−23−1794 |
メールアドレス | sase@d2.dion.ne.jp |
各種講座 |
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墓地の募集 | あり(残りわずか) |
年中行事 | 1月1日〜3日 三朝祈祷・大般若会 2月15日 涅槃会 5月7日 大般若会 8月8日 施食会 12月第1日曜日 成道会 12月31日 大晦日 |
沿革と縁起 | 当山はもと法相宗であった。法相宗の僧松源道人がここに錫を留め一宇を建立した。その松源道人の名に因んで松源寺と称した。法相宗が奈良仏教であることや、当山の開基家のような関係にある加茂神社の本願・実重・大櫃の大本家初代が延暦11(792)年とあることからも、当山は少なくとも1000年以上の歴史を有しているものと思われる。 下って応永年中、再び奈良補巌寺から同䡄阿轍が入寺し、曹洞宗に改め、この地に初めて曹洞禅を伝え、大いに教線を張った。 当時開山同䡄阿轍禅師は、補巌寺2世竹窓智厳禅師15哲中の上足にして、補巌寺開山了堂真覚禅師が薩州に開創された金鐘寺にも住し、また和州に真悟寺という一寺をも開創しておられる優れた禅匠であった。かくして当山は曹洞宗大源派の最古刹、曹洞禅進出の一拠点としての位置を占めた。 思うに、雲樹寺開山三光国師(弧峰覚明)派、もと總持寺開山瑩山禅師に師事随身しておられたから、了堂真覚・竹窓智厳禅師は同学同修の間柄であったであろうし、その弟子同䡄阿轍禅師もそのお名は親しく耳にしておられ、この地に足を向けられたのではないかと思われる。何れにしても、当山と奈良とのつながりは深い。 奈良補巌寺末、孫末等、最盛時には、出雲・石見に20数ヶ寺を数えた。当山の曹洞宗改宗開創は。応永元(1394)年、ご開山同䡄阿轍禅師の示寂は応永7(1400)年である。然るに、享保7(1723)年に祝融の災に遭い、住古の記録は悉く焼失してしまったため、詳しいことは不明。 近世天明3(1783)年中興開基矢田六兵衛あるいは小笹伝兵衛等の尽力により再建成り、18世全超墨外・22世湛堂玉泉等の学僧等も出て、大本山や準本山等から戒師、或は江湖会西堂として来錫が相次ぐ。 文政12(1829)年に禅智書「山号額」、天保15(1844)年に「錦江禅林」揮毫、本堂向拝の額。弘化3(1847)年準本山宇治興聖寺回天和尚の「山陰道場」額が山門に、明治31(1898)年には、大本山總持寺畔上楳仙禅師「照心堂」額が位牌堂唐破風に、明治40(1907)年大本山永平寺貫主森田悟由禅師の「第一関」が総門にと、それぞれの跡方を留めている。 |
その他 | 曹洞宗認可参禅道場 出雲国七福神大黒天霊場 |