法海寺(ほうかいじ)
教区 | 第六教区 |
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住職名 | 渡部修綱 |
本尊 | 阿弥陀如来(恵春之作也) |
住所 | 〒699−0751 出雲市大社町杵築西1825 |
電話番号 | 0853−53−0496 |
FAX番号 | 0853−53−0496 |
各種講座 |
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墓地の募集 | あり |
永代供養塔 | あり |
年中行事 | 7月20日 午後5時~ 施食会 7月20日 午後7時~ 観音大祭(「法海寺夏祭り」夜店・ビアガーデン・ゲーム等沢山の余興あり) |
沿革と縁起 | 不老山神光寺の末寺で、神光寺5世青山善秀大和尚が開山された。それは今から約570年前のことであり、室町時代であの銀閣寺を建立した幕府8代将軍足利義政の治世の時にあたります。この長い間、連綿と続いてきた由緒深いお寺ですが、その間の記録が断片的な為に、世代等について正確な推定を為すことが困難です。察するに、本寺神光寺のお弟子で諸国遍歴の修行を終えた禅僧が派遣された形で歴代の住職を勤められたものと思われます。天保(1830~1843)の頃の記録では、檀家120軒、弟子の僧も何人か数えられて、次第に独立寺院としての形容が整えられたようであります。そして明治以後、歴代住職の護法と檀家の護持の努力で今日の隆盛を見るに至っておりますが、明治9(1876)年4月、祖海要道和尚の代に杵築南(玄光院)にあった所讃寺の旧建築物をそのまま移転し、維持してきましたが、永年の風雪に痛み、修理も限界になり昭和47(1972)年に再建の話が持ち上がり、昭和54(1979)年工事に着手し、本堂・観音堂・庫裡・車庫その他付属施設を整備し、昭和56(1981)年3月22日春彼岸に新築落慶し現在に至っている。 また観音堂(瓔珞院)出雲神門巡礼札所については次のような言い伝えがあります。「むかし、杵築村と日御碕村との境あたりの海面で、しきりに光るものがあり、不思議に思った村民が、杵築灘から舟を出し確かめに行きました。そして二俣の沖でその光るものを舟櫓でひきあげたところ、それは聖観世音菩薩でありました。恐擢した村民は、守護申し上げ瓔珞院に古来より祀られていたお地蔵さまと共に安置申し上げたところ、あらたかな霊験あり、爾来、善男善女多くの人々の篤い信仰の対象となっています。 |