6月29日に開催された檀信徒地方研修会。
例年ですと教区護持会と寺院護持会の活動報告を行いますが、コロナ禍で報告することが難しいことを受けて、急遽アンケートを実施し、当日はその集計と分析を発表することとなりました。
檀信徒地方研修会の報告では時間の都合で省略したプレゼンテーション資料もございました。
ここで改めてその資料を公開し、補足説明をさせていただきます。
こちらが今回の集計の詳細です(自由記入欄は省いています)。
緊急アンケートのためサンプル数が多くないことを踏まえて、実際のデータを見ていきます。
「コロナ禍による寺院活動を取り巻く環境の変化」に対しては、「大きな変化」「多少の変化」を感じている方が多いことが伺えます。
また、今回は宗侶のみ年齢別でも集計しましたが、50代以上の宗侶が特に「大きな変化があった」と感じている傾向がありました。
その具体的な変化について、宗侶と寺族が「行事の延期・中止」が大きいと感じる一方(ただし宗侶の場合はa.b.cがほぼ同じ割合)で、檀信徒は「仏事の簡素化」が大きかったと感じている傾向が見て取れます。
「コロナ禍による収入の変化」については、宗侶の74%が「減収した」と回答。寺族と檀信徒が50%以下の回答率だったことを踏まえると、両者の差が顕著に見て取れます。
「コロナ禍によって生じた変化が現在はどうなっているか」との質問では、寺族が「一部回復しつつあると」の回答が多い一方で、宗侶と檀信徒は「変化の有り様が定着している」との回答が多いです。
もしかしたら、寺院行事は回復傾向にあるが、仏事自体は「簡素化」が定着しつつある、ということを示しているのかもしれません。
「今後の寺院活動にどう取り組むか」という質問に対しては上記のような回答分布になりましたが、サンプル数が少ないとはいえ、「(むしろコロナ禍をきっかけとして)寺院活動を変化させる」という積極的な指向が、特に宗侶で少ないようにも見受けられます。
今回、対象間で最も顕著な違いがあったのが「今後の寺院活動に不安があるか、ないか」という質問でした。
宗侶の6割以上が「ある」と回答したのに対し、寺族と檀信徒は「ある」が1割台にとどまっています。宗侶がより大きな不安を抱えていることが見て取れます。
次に、自由解答欄にあった書き込みを見ていきます。
コロナ禍によるさまざまな自粛の影響で、寺檀間で従来のコニュニケーションが保てなくなって来たことへの不安が見て取れました。
そして「檀信徒の減少」は、従来からの少子化や過疎化が直接の原因です。つまり従来からあった不安がコロナ禍で増大した、とも見て取れます。
コロナ禍における仏事の簡素化を「楽」だと断じ、そしてその「楽」が「葬儀の本質」から離れている、と感じるのは宗侶が少なからず抱いている本音かもしれません。
ここでは、実際に寺院経済への不安が吐露されています。
この「お勤めは変わらず〜お布施の軽重を変える」という意見については、実際に「家族葬や上法事が増えてお布施が減った」という宗侶の声を、コロナ禍以降、筆者も耳にしました。
これはどういうことかというと、コロナ禍で「家族葬」が「上法事」が増えても、宗侶としては場所や規模に関係なく同じ内容のお勤めをしている。例えば「般若心経」をどんな場所や人数で唱えても、同じ「般若心経」です。
しかし檀信徒は、仏事を簡素化したのに伴って、実際のお布施の額を少なくする傾向があるようで、「簡素化」に対する両者の認識の違いがあるようです。
また、コロナ禍以降の社会インフラとして早急に伸展したように見受けられるデジタル技術について、若い宗侶が受容的な態度を示す一方で、高齢者が主体性を担う寺檀関係においては、一般社会ほどにはデジタル化が進んでいない傾向も見受けられました。
さてその一方で、コロナ禍を「マイナス評価」ばかりしない意見も見受けられました。
従来からの少子化や過疎化で、遅かれ早かれ「仏事の簡素化」は進行しており、コロナ禍でそれが10年早まった、とはよく言われることですが、そういう逆境にこそ、宗侶の自助努力への期待(叱咤)がありました。
また割合としては多くありませんでしたが、コロナ禍をきっかけに新たな取り組みをした事例もありました。
そのほとんどが、仏事の簡素化に対する是正措置そのものより、基底をなす寺檀関係をより親密にしようとする取り組みだと見受られます。
アンケートの結果から受ける印象として、寺檀関係においては宗侶がより大きな不安感を抱いていることが分かります。
また具体的には、寺族や檀信徒は寺檀関係におけるコミュニケーションが薄くなることを不安に感じているように見受けられます。
一方で宗侶は仏事の簡素化や寺院経済の縮小に不安を感じていることが分かります。
前者について、コミュニケーションを深めることは寺檀相互の努力義務ともいえ、コロナ禍の影響を受けながら、方法論も様々あるかと思いますが、いずれにしても努力自体はすぐにでも取り組めそうでもあり、そうすべきもの、とも言えます。
しかし宗侶が感じている不安は、宗教や仏事が地域社会の中でどのように機能していくかに関わるもので、時代背景の影響を直接受けるため、自助だけでは解決が難しい、より深刻な不安であるとも受け取れます。
またアンケートを通して透けて見えたのが、「仏事の簡素化」に対しての温度差です。
「簡素化」が今後も定着するであろうという観測が多いのは、宗侶も檀信徒も同じですが、檀信徒がそれを「時代の流れ」と受容する傾向があるのに対して、宗侶は否定的に受け止める傾向が見受けられました。
もし「仏事を元に戻したいけれど戻らない」と受け止めているとしたら、宗侶の不安がより根深いとも言えそうです。
さて、寺檀関係を取り巻く環境について整理しましょう。
寺檀関係は、お寺と檀信徒のコミュニケーションで成り立っています。それ自体は、相互が努力して維持する必要があります。
その背景として大きく横たわる「少子化・過疎化」という問題。これは言わば気候変動が起きているようなものです。
そして「寺院経済」(お布施を含む)も、決して無碍にはできない課題です。これが滞ると、寺檀関係(お寺そのもの)を維持できる条件が下がります。
そしてこれらを支えていた地盤が、従来の仏事ですが、これまでも「少子化・過疎化」という雨風の影響を受けてきました。
コロナ禍による仏事の簡素化で、寺檀関係や寺院経済を支える地盤が痩せつつあることは間違いありませんし、気候変動(少子化・過疎化)も一向に好転する気配がありません。
これらの諸条件は、なかなか人為的に特効薬を処方しにくいものばかりです。
結論としては月並みかもしれませんが、その中で唯一、私たちが直接に働きかけることができるのが、寺檀関係(コミュニケーション)そのものの強度を上げるための努力です。
寺族や檀信徒には、宗侶が抱える根の深い不安にも心を寄せてほしいと思いますし、宗侶は伝統を守る大切さを伝えつつも、自身の不安を盾にするだけでなく、社会の流動性や「諸行の無常」という仏教本来の世界観を観じながら寺院経営に努める姿勢も必要ではないでしょうか。
宗侶、寺族、檀信徒それぞれが、自身の現状を踏まえ、互いに歩み寄りに努めながら、より適正な「法施」と「財施」のバランスの落とし所を見つけるという、「布施」が本来持つ意味を深めることが大切だと思われます。(報告者 教化主事)