「忙しい」を考える(副所長)

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 最近では、「お忙しいですか」「忙しいですね」こんな挨拶も珍しくありません。
 ずいぶん前ことですが、ある会の仕事を頼まれたことがありました。「依頼をいただきましたけど、忙しくてお引き受け出来ません。どなたか適任者をお選らびいただいた方がいいと思います。」と言うと「暇な人に頼んでいい仕事が出来るというわけではないよ、忙しい人だからいいのだよ。」と言われたとたん、こりゃすごい人だと思い、その場で引き受ける判断をしたことがありました。
 でも忙しいと、「忙しい」とは何かを考えるのであります。
そもそも「忙」という漢字は心が亡くなるということであります。対人関係を大切にする僧侶は、いつでもゆとりを持ってなんでも聞いたり話したりするというやさしい心が大切であります。よく忙しくていらいらしたり、充分話を聞かなかったりしている自分に気づくことがあります。おおいに心がなくなっている状況の「多忙」であります。そんな時は、目先のことでせいいっぱい、一番大切な周囲のことも忘れてしまっています。ちなみに「忘」という漢字は自分が心を亡くす。般若湯をいただいて、1年間のあれこれを忘れる忘年会。大切なことや都合の悪いことを忘れる忘却。漢字は、よく出来ており納得のしどおしであります。
 しかし、人間だれも平等に1日は24時間が与えられています。その使い方が問題なのかもしれません。期限が迫れば案外いい考えが出たり、スムーズに処理出来たりすることもありますが、昔から段取り七分で仕事が三分と言われるように計画がきちんと出来ておれば無駄な時間もないというものでしょう。宗務所では、毎月1回役職員会議を開いて行事や計画を協議検討し、よりよい仕事が出来るよう努めています。
テレビやパソコンも携帯もなかった時代が、ゆったりとしていて人間関係も緊密だったような気がしますが後へは帰れません。正月も終わろうとしています。「忙しい」がもう始っています。本年も何卒よろしくお願いいたします。(副所長 楫野光範)

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