ボブ・ディラン
4年前の4月、活躍の途を病魔に断たれ、54年の生命(いのち)を燃やし尽くした画家の信徒さんを葬送しました。そのことを思い起こす、この秋でした。
その年は、花たちの春を告げるのが遅れました。春が訪れる頃までの生命という看たてに、1日でも永らえて欲しいと願われた、奥さまの切な思いを大自然も受け容れてくれて、開花を先送りしていたようにさえ思いました。
しかし、ご本人は最期を覚って向き合うかのように、日日、ボブ・ディランの『天国への扉Knockin’On Heaven’sDoor』を流してほしいと、奥さまへ所望されたとのことでした。その曲は、1973年公開の西部劇映画「ビリー・ザ・キッド/21才の生涯」(監督;サム・ペキンパー)の主題歌で、ボブ・ディランが作曲、西部開拓時代の若きガンマンの、死と向き合う心境が歌われています。 ビリーが母に訴えます・・・・「このバッチをとってくれ もうつかいみちがない」「おれの拳銃をはずしてくれ もう撃つことができない」「あの長い黒雲がたれさがってくる おれは天国の扉をたたいているみたいだ」
この詞に準えて画家ご本人は、寄り添い看病に尽された奥さまへ、仏の国へ向かう心情を伝えたかったのでしょう・・・『この絵筆を おれのパレットを受け取ってくれ もう描くのはよそう』『青く晴れた空の色を君の心に遺したから その空の奥にある 浄土の扉をたたこうと思う』と。葬送ではこの『浄土への扉』の曲を流し、ご遺族や参列者とともに故人の心と向き合いました。
ボブ・ディランの2016年ノーベル文学賞受賞は、驚き・賛同から疑念までさまざまに受け止められましたが、若き日に氏のフォークソングへ感応した世代として、そして、いまもディランの詩歌に浄土へ逝こうとする生命を慰撫する重みが潜んでいることに想いして、私にはうなずき称賛できる受賞でした。
人はそれぞれの生と向き合い、それぞれの死と向き合います。心の世界でそのお手伝いをするのが私たちの役割だと思います。それは、生死が一人ひとりですから一律画一には適わないことで、だからこそ経典にはもちろん、広く文学や詩歌・音楽などとの融合にもしるべ(導)が潜んでいるように思われます。
先般(11月22日・出雲市)の檀信徒地方研修会で、長田暁二氏の講演「歌に潜む仏教の心」をお聴きになった500名近くの参加者の多くが感動してお帰りになったのも、そのことを物語っていると思います。
(人権擁護推進主事 山口完爾)