坊さんもアマゾンで・・・先日、朝刊のこの見出しに触れた日、宗務所内は暫らくその記事の話題でもちきりになりました。移り行く世相のなかで私たちが関わる仏事を、また檀信徒さんたちとのおつき合いを、どのように思慮し勤めるか、それはとても大切なことだからです。
ところで、私は変形した頸椎が脊髄や神経を圧迫し、腕の脱力や手足の痺れ、歩行障害などが進む病を患っています。法衣を着け辛く、木魚や磬子(鐘)などを鳴らし辛くて、日々の勤めや作務の度に仏具などを自動操作するような装置とか掃除や草刈りのロボットなどを備えたいという思いに駆られます。
あらゆる分野でロボットの開発が進み、人工知能の進化と相俟って、人の感情も理解して自律動作する、ヒューマノイドなどと呼ばれる人間型ロボットが実用化され、市場も展開して、第4次産業革命に連なるともいわれます。そんな折り加古川市の他宗派の例ですが、木魚を打つたり、住職の声(録音)を感知して口を動かすロボット和尚がいる寺があり、先月、ご覧の写真とともに新聞紙上で取り上げられていました。既にTVなどでハイテク寺として紹介され、広く国内外に知られているそうです。
▲朝日(本年)新聞(11月)夕刊(4日付)(大阪本社版)による
写真で見る限り、このロボットは人間和尚を補佐する、いわばロボット小僧さんのように見受けられますが、ロボットの今後に思い入れますと、過疎地の寺院や、後継者問題などを抱える寺院と、ロボット和尚を重ね合わせる考え方も直ぐ派生しそうです。ひょっとすれば人権擁護推進の職務にロボケン(ロボ権)が加わるようになるかも知れません。
しかし、進化する人間型ロボットが人の感情に沿って機能できるといわれても、そのロボットが有効に機能する分野と、そうでない分野があることも、誰もが認めるところです。人の感情を表層的・定型的にシステム処理することは可能でしょうが、微妙で奥深く複雑な感情、機微と向き合えるのは、ロボットではなく人自身です。それを為そうとするさまざまな分野のなかの一角を占めるのが人間和尚の役割ではないでしょうか。
一方、アマゾンの僧侶派遣もロボット僧侶も人間和尚に代替して、画一的で形式的な労役を提供し対価に還元される、市場展開の構成要員とみなされるのではないでしょうか。そして、市場ということでは、人々が仏事に係るニーズを、僧侶や寺院に求めるのではなく、僧侶・寺院の役割を代替する市場サービスに求める現状、しかも、それが拡散しそうな現状に、呑み込まれそうな自分と竿差す自分とが交錯します。引き続き思慮しながら、できるだけ人間和尚として勤めたいものです。 (人権擁護推進主事 山口完爾)