昨年12月の宗務所役職員の改選において、岩田新所長老師よりご指名を賜り、引き続き教化主事の任に当たることとなりました。元よりその力量に非ず、みなさまにはご迷惑をおかけしますが、4年前の初任時に銘記した「天命に安んじ、人事を尽くす」を今一度熟慮玩味して、宗務所行政に献身したいと思います。
さて、新体制での「宗務所執務帖」でさっそく取り上げるのは、僧衣を着て車を運転していた僧侶が、福井県警の交通取り締まりを受けて反則切符を切られた、という案件についてです。すでにご存知の方も多いのではないでしょうか。
昨年の9月に発生した当該の案件が、この年末年始に大きな話題になったのは、この間に僧侶が所属する教団の要路で取り上げられ、福井県警と教団が公に見解を発表する局面になってマスメディアが取り上げたため。そしてこの案件を見聞きした全国の僧侶が、僧衣を着て縄跳びやリフティングやジャグリングをする動画をネットに投稿して、福井県警の対応に疑義を呈する活動(「#僧衣でできるもん」)が大きな話題となって閲覧数も増加、たまたまそれが年末年始のタイミングだったことから、さながら「お坊さん、新春隠し芸大会」の様相となってバズり、果てはイギリスの国営放送BBCもこの経過を報道するなど、世の関心を集めるに至ったためです。
【参考】
案件の発生した福井県の地元新聞の記事(https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/773971)
「#僧衣でできるもん」の投稿者「へんも」さんによる経過報告の記事(https://henmo.net/2019/01/03/dekirumon/)
かく言う私も、第一報に接した瞬間は「すわ、公権の暴走か!」と憤然たる瞋恚の炎が燃え上がりそうになりましたが、宗門の公職を更新した我が身を省みて、ここは冷静に、ひとまず県内の取り締まりの基準について問い合わせようと、島根県警のメールフォーム「みこぴーくんのメールぼっくす新」に質問メールを送りました。すると、県警の担当者の方から折り返しのお電話を頂き、以下の回答(要約)を頂きました。
・島根県警が交通取り締まりの基準としている「島根県道路交通法施行細則」には、服装に関する規定はない。
・履物に関しては、同細則の第15条「運転手の遵守事項」に、下駄やハイヒールを例示とした禁止事項がある。
・島根県内で、僧衣の運転が交通取り締まりの対象になることはない。但し、他県警管内では別に同細則を定めているので、他県で運転していたら取り締まり対象になる場合はある。
【参考】「島根県道路交通法施行細則」(https://www.pref.shimane.lg.jp/police/06_information_disclosure/kunrei_tsuutatsu/koutsuu/koutsuu.data/doukouhou.pdf)
こちらの質問に真摯に丁寧にご対応頂いた島根県警並びに担当者の方に、この場をお借りして心より御礼申し上げます。
ちなみに、先述の「へんも」さんの記事によると、同細目に服装に関する規定があるのは、15県。近県だと岡山県警管内がこれに該当します。
さて、ここからはこの案件に対する私個人の意見になります。
まず、今回取り締まりの対象となった僧衣・僧形は、曹洞宗で言うところの「改良衣」に当たります。そして、私自身もこの僧形で日常的に運転をしてます。
ただしこれはあくまでも移動の際の略式の僧形で、お勤め先に行けばお袈裟を着けるなどして正式の僧形に着替えることになります。つまり、日常生活に差し支えないように改良されたから「改良衣」と称しているわけですし、これで実際に交通取り締まりにあったら、私もおそらく「理不尽」だと憤るでしょう。
すでに各所でも言われていますが、大前提として法令遵守はしなければならない。その上で、僧衣(着物)の運転については規定が全国的に統一されておらず、内容も曖昧で解釈に幅があり、施行が不均衡で不公平だ、という指摘はもっともです。そして、「#僧衣でできるもん」によって市井の僧侶が草の根運動で、かつウィットとユーモアを駆使してバズったことは、素晴らしい「倍返し」だったと、動画を投稿した僧侶の方々のバイタリティーに敬服するしかありません。
ただ、時間をかけて沈思するうちに、別の思いが出てきました。本当に、車の運転を従来の僧衣・僧形でしなれば日々のお勤めができないのでしょうか。
おそらくですが、福井県警は現場の警察官の「判断」で、僧衣での運転に「懸念」が生じ、これを予防すべく取り締まりを行ったのでしょう。未だに私は現場の警察官が「先走り」したのではないかと疑っています。
それに対して、「#僧衣でできるもん」で実証が試みられたように、僧衣が運転に差し支えないのも「事実」でしょう。
この事案がどのように決着するか分かりませんが、それでも、僧衣で運転をする安全性に「懸念」が呈されたことは、私たちにとっても省察に値するのではないでしょうか。
いわゆる「コンプライアンス・マター」と言うと、疲倦に感じる方も多いかもしれませんが、この「懸念」に対処する方法は2通りあって、1つは、僧衣で運転が可能であるという「事実」を実証していく。今回の案件で見られた仏教界側の対応がそれです。
もう1つの方法は、案件が惹起されたことを受けて、今後は「懸念」が生じないよう、僧侶の側が未然に防止すること。つまり運転中の僧形をさらに「改良」することです。
具体的には、今回の福井県警が「運転に支障がある恐れ」と見なした股下の可動性については、まず靴を履く。次に着物の上からもんぺを履く(実は昔の作務衣は着物の上から着れるようにもんぺ袴状だったと言います)。さらに上半身の袖丈をさらに短かくする、などが考えられます。(但し、改良衣の形状を個人の解釈で勝手に改変すると、宗制違反に問われる可能性があります)
そもそも、僧衣や着物姿でも「運転に差し支えはない」が、「運転に最適である」かと言われると、それは否です。
この点は福井県警の見解とは逆の解釈で、着物の股下は締まっているのではなく、むしろ時間の経過とともに段々と緩んできて、身嗜みが悪くなるのです。ズボンのような二股状の方が運転に向いているのは自明です。
私も、県外の会議出席などで長時間運転をする際には、スーツに絡子で移動します。曹洞宗の現行の服制規程では、正式な法要を伴わない集会に限り、洋行衣(スーツとネクタイ)に絡子の被着して出席することが認められています。この服装なら、目的に到着しても改良衣に着替える必要がなく、移動中の荷物も少なくて済みます。
そもそも、道中の服装は正儀とは異なるので、そこに「僧衣はこうでなくてはいけない」という「無謬性」を発揮する必要はないのではないでしょうか。
私が見聞きした範囲だと、例えばターミナルケアで病棟に入る、もしくは被災地や仮設住宅に入る、といったボランティア活動の先駆者である僧侶の方々は「僧衣を着て現場に行かない」という「配慮」を心がけておられました。仮に病棟や被災現場に僧衣で赴くと、対象者の中には「葬儀→不吉」といった連想や、弱り目に祟り目で宗教の勧誘をされるという「懸念」がある方がおられる可能性があり、実際には不吉ではないし勧誘もしないけれど、そこで「入り口での押し問答」はせず、肝心なのはまずその中に入ることだから、僧形での活動にこだわらない姿勢を貫いておられるのです。もしかしたら、僧衣での運転に関しても、これと同じ対処が可能なのではないでしょうか。
昨今の世情は「ポスト真実」と呼ばれ、客観的な「真実(ファクト)」よりも主観的な感情や意見の方が強い影響力を持つ、と言われています。「真実」を強く追求ことが、逆に異なる意見との強い摩擦を生みやすいと見做されるようになってきました。現に「へんも」さんの投稿を拝見すると、この活動に対する批判も寄せられていることが伺えますし、今後も福井県警は取り締まりの正当性を主張し続けるように思われます。平行線を保つよりも、両者が歩み寄る落とし所の智恵が必要なこともあるでしょう。
「ポスト真実」時代の私たちの処世にも示唆を与えるような案件でした。(教化主事 板倉省吾)