「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものであれだけしつこかった猛暑が収まってきました。とはいえまだ平年よりは高めに推移しているようです。
先日、自坊に「総合的な学習「松江探検」」に協力をお願いしますという手紙が中学校からとどきました。「寺町にはどうしてたくさん寺があるのか」という探求課題についてインタビューをお願いしたいと言うことでした。とはいえ、私は松江で育っていないので、詳しく勉強した訳でもなくどう答えるか悩んでいます。松江に来て35年になりますので、その間に見聞きしたことを話すしかないと思っています。
そもそも、龍覚寺は青砥判官義清開基で売(め)布(ふ)神社社家の出身で宍道湖より上がった鎌倉時代の大日如来像を本尊としてむかえ、真言宗として開山。宍道湖をのぞむ(ちなみに山号望湖山)現在の圓成寺山に建立され売布神社とともに在りました。永享5年(1433)鳥取大山町退休寺3世無余空圓大和尚をまねき曹洞宗に改宗。
橋北の法眼寺(以前は天台宗)とともに、旧松江市中曹洞宗最古の寺院です。
つまり、松江城築城より古いので、推測するに、後から来た堀尾氏にかなりたてついたものと思われます。寺町の曹洞宗寺院は皆、お城より古く松江のあちこちに有ったようなので、なんだかんだ理由をつけられ集められたようです。寺を一カ所に集めるメリットは城壁代わりということらしい。寺町は出雲街道からお城に向かう要所にあるので、例えば、墓を踏み越えて攻めてくるのは精神的に苦痛である。とか、寺と寺の間の壁が攻めるのに邪魔になる。とか聞いたことがあります。あと、たてつくので管理のしやすい城下に集められたという話もあります。いずれにしても寺町はお城の防衛のために戦略的に作られた町のようです。
ちなみに、元龍覚寺が在った所は、出雲街道の入り口で交通の要所であるため、堀尾氏は要塞も兼ねて自分の菩提寺として圓成寺を建て現在に至っています。
副所長 佐藤良元