9歳になる息子が、夜な夜な布団の上で後転の練習をしています。どうやら学校でうまく出来なかったのが悔しかったようで、息子なりの補習、リベンジです。
「できるようになるまでやめない!」
と最初は意気込んで始めますが、何度か試しても、体をうまく丸めた動性を生むことができず、ギッコンバッコン。ぎこちない体勢のままベシャっと潰れ、そのまま真っ直ぐ仰向けになったまま、天井に向かって、「出来ないーっ!」と苛立ちをぶつけます。それを繰り返すたびに投げやりさにも熱が帯び、やがて、
「こんなの一生無理―っ!」
「明日学校に行きたくなーいっ!」
「僕なんて存在する価値ないーっ!」
と叫び声がエスカレートし、サメザメ泣き出します。
元々、団体行動や他者とのコミュニケーションが苦手な性質の息子。
最近はそれを自覚するようになったのか、学校生活への悲観的な言動が増えてきました。
息子の嘆きと叫びを、妻と二人で懸命に受け止めようとしますが、うまく宥めることができません。泣き疲れた息子が入眠した後、いつも二人で反省会。夜の闇にも引っ張られて、胸がギュンってなります。
息子よ。ネットで漢字を検索して、お父さんの名前がヒットできるようになったら、これを読んでおくれ。
もし君が、今のギュンとなったお父さんの気持ちになれたら、君の投げやりや嘆きを止めることができるだろうか。
お父さんは大人なのに上手に後転ができません。でも全然悔しくないのは、たぶん今、後転で評価されるような仕事をしていないから。
今は価値や評価の種類が少なくて、同級生と比べてできることが多くないかもしれないけれど、それはそのうちなんとかなる。だとしても。
お父さんは今年で50歳になるけれど、全然まだ、しんどいことが多いよ。時々君みたいにギャー!って叫びたくなる。
「生まれたから、生きていく」。ただそれだけのことが、こんなに難しいなんて。
それでも今を生きていけるのは、お母さんとおばあちゃんと、そして君がそばにいてくれるから(去年亡くなったおじいちゃんも、14年前に亡くなったお兄ちゃんも)。
運動ができなくても、同級生と上手にお話しができなくても、君の「価値」は傷つかないよ。お父さんとお母さんは望んで望んで、やっと君に出会えたんだから。
何者にもならなくていいから、ただただ一緒に生きていきたい。
そしていつかは出会ってほしい。何者でもない君が寄り添い合える誰かと。
お父さんとお母さんの、心からの願いです。(人権主事 板倉 記)