「いいわけ」
感染症がもたらした未曽有の事態。「緊急事態宣言」が発令され、外出すらままならぬ厄災の日々を過ごした。はたして、かつての日常は戻るのだろうか。
今後は、屋内で過ごす「新しい生活様式」に移行するのだろうか。
さて、このコロナ騒動でいつもより時間ができたという人も多いと思う。もちろん、私もそのうちの一人だ。だが、その間にどれだけのことができたのだろうか。
かつて、「時間がない」と言い訳をして、仕事(するべきつとめを果たすこと)が遅かったり、棚上げをしていた自分がいる。正直に自己観察する限り、このコロナ禍の期間に私がバリバリと成果を上げたり、「あいつはやるときにはヤル」、などという評判は一つも聞かない。曰く、「コロナのことが気になって仕事が手につかない…」と。
問題は、時間ではなかったのだ。
それにしても、新型コロナウイルス終息のめどは立っていない。いわば、締め切りのない日々を過ごしているようなものだ。私の住む町でも、「当面の間、○○の使用はできません」ということがあった。「当面の間」とは一体、いつまでのことなのだろうか。
かつての日本の戦後復興であれば、少しずつでも社会が元に戻ったり、良くなっていく様子が見えたはずだ。今よりも一年後がマシになっていると自信を持って言えたはずだ。
しかし、コロナ禍の場合、いつが最悪の状態なのかが見えにくい。当初は、たしか流行のピークは四月もしくは五月、また、梅雨の時期には流行は収まると言われていたはずだが、新型コロナウイルスの感染者数は今なお、増加の一途をたどっている。
このような状態が二年から三年、中には十年続くのではないかという悲観的な予想をする専門家もいる。
そのような中で、新しい生活様式が屋内で過ごすことだけではく、「新しい生活様式~○○~編」というものが提案されるかもしれない。
当宗務所は、毎週火・金曜日が「開所日」だが、盆期間の為今月、七日(金)・十一日(火)・十四日(金)は、「休所日」となる。
今回の執務帖は、今年前半戦最後の投稿となる。
前回の投稿から約四カ月。締め切りまでまだまだ時間があると思って、何もしなかったこの四カ月。締め切り前日になり、ようやくあせり出して、何とか間に合わせることができた。時間は、たしかにあった。いや、あり過ぎた。あり過ぎた時間を持て余したのだ。
これからは、「社会に締め切りがない時代となるかもしれないが、個人には締め切りがある方がその人の能力を引き出すことができる」というよく分からない提言をしてみる。
時間的制約の中で執筆する。締め切りを守ったのに、なぜか言い訳めいたことをいう。この四カ月間、無為に過ごしたことが窺える今回の執務帖であった。
「新しい生活様式~いいわけ編~」。
考える時間は、まだまだたくさんある。
書記 佐野晃孝