「第3回世界宗教者平和会議差別発言」、いわゆる〇〇。(人権主事)

先日、曹洞宗宗務庁で開催された人権擁護推進主事の全国研修会に参加しました。

 

その中の分科会で「第3回世界宗教者平和会議差別発言」について触れられた際に、山口県宗務所の主事から、以下の趣旨のご発言がありました。

「町田〝宗夫〟老師のお名前、正しい読み方をみなさんはご存知でしょうか…」。

 

『同和問題にとりくむ宗教教団連帯会議(通称、同宗連)』結成の契機ともなった「第3回世界宗教者平和会議差別事件」の詳細は、上記のリンクをご参照いただければと思いますが、私は、この「発言」をずっと「町田発言」と称していました。これは「当時の全日本仏教会理事長・曹洞宗宗務総長」が、山口県よりご出向されていた故・町田宗夫老師だったための「通称」ですが、「発言自体は個人でも、その内容は当時の教団内で一定共有されていたものだった」「教団としての責任を特定の個人に転嫁させかねない」などの合理的な配慮から、現在では「第3回世界宗教者平和会議差別発言」と公称され、「通称」が公の場で使用されることはなくなりました。

一方で、今年齢50を迎える筆者から上の年代では、今でも通称が多く使われていることも、偽らざる事実です。その方が馴染みがあって簡潔で呼びやすいと感じるからだと思いますが、山口県の主事さんから問いかけがあった際、私自身「ギクリ」としました。

「シュウフ…? ソウフ…?」

これまで何度も見聞きしたお名前のはずなのに、改めて問われるとその呼称に確信がないことに、その時初めて気づいたのです。

私が思いついた答えはいずれも間違いでした。正解は「ソウユウ」。

私の中で「〝町田発言〟の町田老師」という断片的な情報で止まっていたのです。

 

実際の町田老師は、当該の発言事件の後、さまざまな指摘(当時は「糾弾」とも称しました)や事実検証、それにまつわる学びを通してご自身の誤りに気づき、5年後の「第4回世界宗教者平和会議」で前言を撤回し、全世界に謝罪。以降は自身の経験を踏まえて、人権啓発のため全国で講演活動などされたようです。その一連を追った人権学習用の教材が1999年に作成され、曹洞宗ホームページの寺院専用サイトで、今でも視聴できます。

「誤り、省み、学び、改め、行う」という私たちが人権学習に臨む際の「模範的」とも言える類型が、町田老師のご半生にあったとも言えるはずですが、私は自身の「バイアス」から、人格を「断片化」して「誇張」し、それを「定着」させていたことを、山口県の主事さんのご発言で気づかされました。

一方で、当時の「関係者」だったと思しき方の回顧によると、その後町田老師は人権啓発の活動を止めざるをえなくなったそうで、その原因が「歴史認識」だったとされます。おそらく「皇国史観」だったと思いますが、「越え難い年代の壁」でしょうか。

 

公称が極めて正当である一方で、それだと語彙が漂白され平坦になったようで、個人名が冠された方が「発信力」に強さがあったように感じるのが、私にとっての「年代の壁」かもしれません。

そんな私のような「認識の歪み」を残したままにしないためにも、「過去にあった第三回世界宗教者平和会議差別発言事件と、そして当事者となった町田老師個人の行履」を公でも繰り返し学び、後世に伝える必要性を強く感じました。(人権主事 記)

 

ページトップに戻る