『ルンビニの花園!お釈迦様の生誕地)』~Buddhist Circuit Trainの旅~(堀江副所長)

前回からの続き!

 釈尊の生誕の地には諸説があり概ね西暦前5世紀頃とされています。古代インドの北方の大国コーサラ(Kosala)国の支配下にあったアーリア族系シャーキヤ(Śākya)族の王子として誕生しています。したがって、釈迦と指すとシャーキヤ族全てを指しますので区別するために釈尊(しゃくそん)とかお釈迦様や本名シッダールタ(Śiddhārtha)などと呼んでいます。父はカピラ城主でもありシャーキヤ族の部族長でもあるシュッドーダナ(Śuddhodana)で母は隣国コーリヤ(Koliya)国出身のマーヤー(摩耶・Māyā)です。母は釈尊出産の為の里帰りの途中、現ネパール領ルンビニ(藍毘尼・Lumbini)にて釈尊を出産しています。しかし、母は出産後7日目に亡くなり養母として実叔母であるマハー・プラジャーパティー(摩訶波闍波提・Mahā-prajāpatī)に一国の王子として何不自由の無い幼年期を育てられました。尚、養母であったマハー・プラジャーパティーは後にシュッドーダナ(釈尊の実父)の後妻となり、釈尊がお悟りを開かれた後には比丘尼(びくに・女性としての最初の弟子)となっています。

 さあ!それでは釈尊の誕生に思いを寄せてルンビニ(Lumbini)のマヤ・デヴィ寺院を訪れてみましょう! ルンビニはネパール領になりますがネパールの首都カトマンズから直線距離にしても約280㎞もありネパールもインド同様に道路の整備(インフラ)は全く進んでおらず悪路を約8時間は必要です。しかし、ルンビニのすぐそばにはその名もずばりゴータマブッダ空港もありますがカトマンズ空港から国内線のロイヤル・ネパール航空に乗るのには少々勇気がいります。現時点ではインドからの国際便は無いようです。やはり釈尊に関わる仏跡は北インドに集中しておりインドから国境を超えて陸路で行くのが一番安全でしょう。

 前日、夕食はホテルで済まし深夜にバラナシ駅を出発しました。駅に着くと今までの電気機関車からディーゼル機関車に変わっていました。ネパール国境のナウタンワ(Nautanwa)までは非電化区間のようでした。バラナシからナウタンワまで約300Kmを約8時間をアットいう間(熟睡していたので)の時間でした。

インド側行き止まりのナウタンワ駅

 ネパールへの国境の入国管理所(イミグレーション・immigration・通称イミグレ)に一番近いインド国鉄(Indian Railways・略称IR)の駅ナウタンワと言う行き止まりの小さな駅前から国境の町ソノーリ(Sonauli)までは約10㎞でバスかタクシーでも約20分ほどです。さー!これから日本では経験の出来ない陸路での国境通過になります。ただし、ネパールはインドと同じようにビザ(入国許可証)が必要で前もって在日ネパール大使館に申請が必要です。しかし、日本とネパール間には協定により日本人に対しては特別にイミグレで取得出来る(アライバルビザ・Arrival Visa)が顔写真の用意があればその場で取得可能です。

ネパールのイミグレ(入国管理事務所)

ネパールビザ(領事館手配ビザ)

インド・ネパール国境(手前ネパール)

 いよいよ、自分の足で初めて国境を越えますがインド人とネパール人の間にはパスポートもビザも必要無く日常的に国境を往来しています。イミグレといぅと非常に厳重な気がしていましたが、「ルンビニへ行くのか!」と聞かれたので「そうだ!」と答えると「OK!OK!」との連発でパスポートと顔写真の確認だけでものの2.3分ほどの形式的なものでした。しかし、インド名物のケバケバした装飾のデコトラ(通称)は関税があり荷物の点検と納税手続きが必要です。ネパールに入国するとバスターミナルがありルンビニのマヤ・デヴィ寺院までは約23㎞約50分ほどで到着です。

日本語では「マヤデビ寺院」となっていた

マヤ・デヴィ寺院(釈尊誕生遺跡)

 釈尊の出生地については釈尊生誕後間もなくは仏教徒の巡礼の地として多くの寺院もあったものの他の宗教の進入や疫病による集落の消滅などさまざまな理由により長い間歴史から消滅しており長い間確定されていませんでしたが、約130年ほど前にインド考古局により発掘調査が始められ、釈尊の出生を示す仏跡付近と紀元前200年頃ほぼ現インド全土を支配下にしていたマウリア朝第3国王(アショーカ・漢訳 阿育王)王がルンビニに建立した仏塔に「ブッタがこの地で生誕したのでルンビニ村の租税を軽減する」と書かれた碑文が発見され、釈尊の出生の地が確定する事となった。現在は仏跡の保存の為に覆うように建物が建築され、母のマーヤーに因んでマヤ堂と呼ばれ、アショーカ王の仏塔もすぐ横に立っています。

アショーカ王建立の仏塔

ルンビニ公園の釈尊誕生仏

 釈尊は生誕後に7歩あゆみ、右手を上に、左手を下に向けて、『天上天下唯我独尊(てんじょうてんが(げ)ゆいがどくそん)』と放たれたと伝えられています。直訳をすれば「天にも地にも我(釈尊)が一番尊い」とも訳せるが、釈尊の教えを理解すれば「我(われ)」とは釈尊個人ではなく、この世に生(せい)を受けた全ての者、つまり他者(たしゃ)と理解した方がよいのではないでしょうか。この誕生直後の姿は誕生仏として尊者(釈尊)を表す象徴として世界中に広がっています。釈尊の生誕地ルンビニには特に乾期の11月~2月中には世界中の仏教徒が参拝(巡礼)に訪れマヤ堂に向かって瞑想にふける人々の姿が耐えません。

 日本では、4月8日又は月遅れの5月8日にルンビニの花園を模してお堂を綺麗な花で飾り誕生仏を安置して、釈尊の誕生を祝って天から甘露(かんろ)の雨が降ったとの言い伝えから誕生仏に甘茶を掛けてお祝いをする灌仏会(かんぶつえ)など子ども達の健康な成長を願ってお祝いをする行事や、釈尊は白い象の姿になって母マーヤーの胎内に入り誕生されたとの逸話により白象に誕生仏を乗せて子ども達が行列をして誕生をお祝いする行事(花まつり)などが全国各地で催されています。

釈尊降誕会(島根県雲南市)

灌仏会(かんぶつえ)

 今日はマヤ・デヴィ寺院近くのホテルに宿泊して、明日は入国と同じイミグレを通過して釈尊涅槃(入滅)の地クシナガラ(Kushinagar)に向かいます。今回のツアーでは最長の約4時間余りのバス移動となります。

 次回に続く
(副所長 堀江晴俊)

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