昨今、テレビでもネットでも日々報道や情報が流されているコロナウィルス関連のニュース。状況的には徐々に色々な自粛も緩和されて来たように感じます。徐々に物流の方も回復して来ているようでマスクも身近なドラッグストアやスーパーでも購入出来る様子ですが、そんな最中ようやく国から支給されるアベノマスクが届きましたが…来ては欲しくないですがコロナの二波・三波が来た際にこのマスクは使わせて頂こうかと思います。
さて、こちら宗務所の業務もこのコロナ騒ぎで4月半ばから5月一杯まで出勤停止ということで、用事がある時にちょっと宗務所に顔を出して郵便物や書類のチェックをして小一時間でお寺に戻るというような形で、パソコン事務などお寺で出来る事はデータで持ち帰って作業をするというような日々で、この数か月は自坊に居る時間が増えました。ようやく6月になり宗務所も通常業務に戻り、日常を取り戻しつつある今日この頃です。
今回のタイトルにもありますが…今回のこのコロナ禍に於いて私は…何をしたか、していたかと申しますと4月と5月に2回も腰を痛めてました。…故に4月5月と整骨院通いを余儀なくされてまして…(笑)所謂、ギックリ腰というやつではないんですが、蓄積疲労が全て腰回りに来ていたようで、中々しんどかったです。一応にこの状況下においても日程の変更や規模の減少などは在りつつも壇務(お勤め)が無かった訳ではないので、その壇務の際に立ったり座ったり態勢を維持したりというのがなかなかに厄介でございました。現在、回復はしましたが極力無理をせずに過ごしております。それでは何故に蓄積疲労が腰に来たかと申しますと、この4月・5月の外出自粛を使いましてひたすらに山内の整理整頓を進めていたのと、山林に隣接しております自坊の本堂や庫裡に掛かって来そうな木々の伐採を脚立や屋根の上に登って普段とは違う無理な体勢で1日数時間毎日のように行っていたのに加えて庫裡や本堂内の什器のレイアウトを大幅に変えた為、スチールラックなど重い什器を幾つもバラしては動かしを繰り返していたからに違いありません。お陰で山内は片付けが進みはしましたけれど…やればやるほど、あれも、これもと見えて来て…どうやら片付けにはまだまだ時間が必要そうです。
ただ、今回の片付けで私が住職になって初めてお目に掛かるお寺に纏わる貴重な資料などが古びた木箱や箪笥より出て参りました。今回の片付けが無ければ下手すると一生お目に掛からなかったかもしれない資料だったので、それはそれで有り難いことであった訳です。今回の片付けで捨てる物も多かったのですが古いものを懐かしんでみたり、得る事もあったりとまさに脚下照顧の「捨離行」でありました。因みに世の中で最近よく用いられる「断捨離」とは以下のことのようです。
モノへの執着を捨て不要なモノを減らすことにより、生活の質の向上・心の平穏・運気向上などを得ようとする考え方のこと。「断」は入ってくる要らないモノを断つこと、「捨」は家にあるガラクタを捨てること、「離」はモノへの執着から離れることを表す。
(梅花主事 糸賀一峰)