コロナ禍の中での雑考(岩田所長)

 コロナ禍での雑考

 執務帳いつも遅くなり、急ぎ書き始めようとしたところ九州地方他全国的な水害が発生し、これ以上被害が拡大しないことを願っていたが、連続しての大雨に被害は拡大するばかりであり、あらためて被災者、亡くなられた皆さんにお見舞いとお悔やみを申し上げさせて頂きます。

 さて、コロナ禍の中始まった遠隔坐禅会も早三か月が過ぎ、カエルの声を聴きながらではあるが、参加の皆さんと共に静かな時間を過ごさせて頂いてきた。

 二回目は失礼したが、お陰様で後は全て参加することが出来た。暁天、夜坐は宗侶としてのあるべき姿であるとは思いながら、兎角忙しさに感けて坐ることのない日おくり中、コロナがきっかけとはいえ、落ち着いた時を過ごすことが出来ること有り難く思いながら坐ってきたところである。

 コロナは様々な分野に亘って大きな影響を与えており芸能界、テレビ界も例外ではなく、楽しみであった朝ドラの「エール」、日曜日の大河ドラマ「麒麟がくる」が収録出来ず、特別編、再放送などに切り替わってしまった。一時も早く再開されることを願っているが、今の情勢ではそれも叶わないかと残念な気がしている。 

 「麒麟がくる」は、明智光秀が主人公ということもあってか、いまだ定説のない『本能寺の変』の原因について、最も人気の高い説をネット投票で決める『本能寺の変 原因説50 総選挙』行われた。光秀が築城した福知山城のある福知山市などが主催し、投票者は50の説の中から投票、海外を含め3万5359票が寄せられ、その結果が発表され、一位が非道な織田信長を許せず正義のために討ったとする「暴君討伐説」、で4046票であった。

 以下2位は豊臣秀吉が暗躍したとみる「秀吉黒幕説」、3位は光秀が信長に恨みを抱いたという「怨恨説」、4位が天下取りをねらった「野望説」さらに踏み込んだ説の「秀吉実行犯説」も5位に入るなど多くは古くから唱えられていた説が入ったようであった。

 50もの説をよく考えたものだと感心しながら、すべての説を調べた訳ではないが、この中で私が選ぶとすれば、「暴君討伐説」である。これまで時代劇をみると多くは「怨恨説」を取り暴言、暴力の場面が数多く映し出されてきた。絶対服従の時代 主君を怒らせた自分に非があったのではないかと考えることはあっても、恨みを抱くことはなかったのではないか、それよりは信長が天下取りを果さんとするあまり、対抗してくるものはたとえ仏教の聖域であっても容赦せず、比叡山をはじめ焼き討ちを行い神仏をも恐れぬ蛮行に内心は怒りを抱きながら数々の戦さをして来たのではないだろうか。

 各国を治めつつ楽市をはじめ地域交流を図り経済の活性化への功績は、歴史が示すところではある。また、戦さの中での多くの焼き討ちも一つの戦略であったかもしれないが、焼き討ちの命を下したのは信長であっても実行したのは自ら達であり、その悲惨、無慈悲な光景を目にするあまり信長の残虐非道さに、この先の信長の治世、日本の行く末を託すことへの不安、恐怖心を感じていたのではなかろうか。

 天正10年(1582)、甲斐を滅ばし目は中国攻め移ってきており、光秀も中国攻めに向け軍備を整え出発した途中で軍議を開き謀反の企てをしたと伝えられているが、単なる怨恨による謀反であったか疑問が残る。少数の兵で本能寺に籠る信長を討つには千載一遇の時、一大決心をしたのではなかろうかとの考えのもと、「暴君討伐説」を選んだ。さて、ドラマでは光秀をどのような人物像に描くのか楽しみである。

 その頃の永平寺はどうであったか。比叡山焼き討ちが元亀2年(1571)9月、越前朝倉氏攻めが元亀4年(改め天正元年)、本能寺の変が天正10年であるので、おそらく19世 祚玖禅師の頃かと思われるが、都の有力寺院とは異なり守るべく権威も寺領もなく、僧兵のような武力で対抗する必要もなく、まもるべきは正伝の仏法であり只管打坐の日々であったかと思う。

 ただ災難には遭っており織田軍が永平寺内に逃げ込んだ朝倉兵を追って乱入、探し求めて叫ぶ織田兵に対して、永平寺の僧は経を読むのみで返答はしない、構わず寺内を探し回るが突如兵を引き始めた。様子を見に行っていた僧の話では、織田兵の行く手に五百羅漢が並び行く手を遮り戦火から救ったくれたという逸話が残され以後、語り継がれるようになったといわれている。永平寺の無抵抗の抵抗であったといえる。

 形は違えど無抵抗を示したのが甲斐の恵林寺であり、織田軍の焼き討ちにあったとき快川国師が燃え盛る三門楼上で「安禪不必須山水・滅却心頭火自涼」と唱え身を投じたことが伝えられている。かつて参拝した時三門にこの句の聯が掲げられているのを目にした。因みに「火自涼」を火もまた涼ししと読まれることがあるが、これは火おのずから涼しし読むべきかと思う。

 大河ドラマ「麒麟がくる」に纏わる余談が長くなったが、麒麟とは戦乱の世にいつか戦さを収め平和な世の中を作り出す人物のことを設定しているようである。コロナ禍の中で、まずは三密を避け、ソーシャルディスタンス、多く言われているコロナ対策をしっかりと守ることは当然のことながら、麒麟となり得るウイルスの早期開発を待ち終息・収束となることを願っている。

(所長 岩田?成)

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