この度、第二宗務所所長改選により岩田泰成老師が所長に就任となり、図らずも私が所長の補佐として副所長を拝命致しました。平成18年に前所長伊藤浩元老師の元で2期8年間教化主事として宗務所にお世話になっておりましたが、その後第八教区長任期半ばにおいて再び第二宗務所のお世話になる事となりました。元より非才極まりない我が身ではありますが皆さんのご援助を頂きながら大任を果たすべく邁進させていただきますので宜しくお願い申し上げます。
さて、就任早々にいずも曹洞宗青年会の諸師が宗祖道元禅師が学ばれ師である如浄(にょじょう)禅師より教え受けた現在の浙江(せっこう)省寧波(ねいは)(※1)市内にある 「天童山景徳禅寺(通称天童寺)(※2)」への参拝を計画している事を知りました。実は私も約30年も前に訪れた事もあり懐かしさのあまり末席に加えていただく事となり、先月1月28日(月)から31日(木)の3泊4日の行程に参加して参りました。
私が初めて天童寺を訪れたのは、昭和の末期の事で上海もまだ上海国際空港(現在の上海虹橋(ほんちゃお)空港)しかなく、空港に到着すやいなや強烈な中国独特の臭い(?)に襲われた体験を思い出します。天童寺はチベット高原を源流とした全長約6,300㎞に及ぶ世界第3位を誇る中国の大河長江(ちょうこう)を挟んだ対岸にありますが、河口部(揚子江(ようすこうとも呼ぶ))は約200㎞にもなり、上海から船で渡るか河口を遡り杭州(こうしゅう・浙江省の省都)(※3)を経由する約350㎞を列車に約8時間揺られて行く難所でもありましたが、現在では新幹線(高規格鉄道)で約2時間、上海長江大橋を車で渡れば約3時間の時間的な近距離ともなり、広島空港発着便を使えば理論的に日帰りが可能な距離ともなりました。
当時の天童寺は中華人民共和国建国(昭和24年・西暦1949年建国)後1966年(昭和41年)から10年間に渡って続いた毛沢東主導による革命運動により、宗教が徹底的に否定され教会や寺院・宗教的な文化財が破壊され、仏像が溶かされたり僧侶が投獄・殺害された通称文化大革命により、特に上海や浙江省での影響は大きく天童寺も伽藍は奇跡的に助かったものの大多数の仏像や仏具が破壊され復興もままならない誠に悲惨な天童寺でした。僧侶の多くは離散し僅かに残った僧侶も自転車の古タイヤを材料としたスリッパを作って浄財としていました。
まず、道元禅師が寧波上陸を記念して市内三江公園に1998年に宮崎奕保禅師発願による「道元禅師入宗記念碑」の見学から今回の道元禅師の足跡と天童寺の参拝の旅が始まりました。
現在の中国では当局の「宗教の中国化!」の元で共産思想の中での宗教団体への風当たりも厳しい為にどの程度の参拝が出来るのか大変心配をしておりましたが、天王殿(山門)の前に立つと過去の思い出が昨日の事のように蘇り、まず、庫院(くいん)にて殺生を禁ずる戒律により肉や魚を食材として使わない料理とは思えない見栄えもすばらしく大変美味しい精進料理をいただきました。その後、方丈(ほうじょう)にて天童寺のご住職のお迎えを受け「大変遠い所からよくいらっしゃいました。」とお迎えの言葉をいただき、暫し歓談をさせていただきました。仏殿では、今回の主催者であるいずも曹洞宗青年会の会長導師により、天童寺の仏具をお借りして拝登諷経をさせていただき、その時ちょうど居合わせた中国人の参拝者の方々もご一緒に手を合わせて見守っていて下さったのには大変感激を致しました。山内を廻りながら、1980年秋に秦慧玉禅師発願の「道元禅師得法霊跡碑」を拝見したり、時間の余裕が出来たので私も初めての参拝でしたが、東方約2㎞ほどの山中にある現在地に移転前の通称古天童寺まで足を運ぶ事と致しました。文化大革命時にはまさに更地になるほどの被害を受けたとの事でしたが現在では諸堂や天童寺歴住墓所も再建されておりました。参拝前の心配は全くする事も無く大変充実した天童寺の参拝でした。
約5時間の天童寺参拝の後、道元禅師の入宗の意志を堅固にした典座(てんぞ)教訓にある椎茸典座で知られる阿育王寺(あいいくおうじ)(※4)では、中国唯一の仏舎利を直に見る機会を得る事が出来ました。
場所を寧波から杭州に移して、杭州最大の寺院霊隠寺(※5)の参拝の後、道元禅師の天童寺での師である如浄(にょじょう)禅師が天童寺に転住前に住職をしていた浄慈寺(※6)では、近年福山諦法禅師の発願により如浄禅師の墓所に立派な吾妻やが整備されていました。
併せてせっかく中国の地に足を踏み入れましたので、中国の葬儀儀礼についても知っておくべきと思い町中の葬儀屋(中国語で花圈寿衣礼品店と言う)(※9)と土葬の墓地を訪れてみました。中国では僧侶が葬儀に立ち会う事はほとんど無く、親族や友人でお別れの儀式を行うのがほとんどのようです。中国では来世でも生活に困らないようにと子ども銀行のような紙銭(しせん)(※7)や紙で家を摸造した冥界ハウスなどを副葬品として故人と共に火葬(埋葬)をするようで、日本での死に装束に相当する寿衣(じゅい)(※8)などは赤色を基調とした派手目の装束も見てきました。
中国の食文化には歴史があり、天童寺では精進料理をいただき、寧波や杭州ではご当地の名物料理と途中西塘(しーたん)では庶民の農民料理を毎食お腹が破裂するほどいただきました。日本人の味覚にも会い本場の中華料理も堪能できました。
たった3泊4日の通称弾丸ツアーではありましたが、道元禅師と如浄禅師の足跡を辿るとともに今の中国を垣間見る事ができた中身の濃い旅となりました。
また、寧波市は遣隋使や遣唐使の寄港地でもあり古くから日本との交流があり、静岡空港・中部国際空港・関西国際空港からは寧波への直行便もあります。中国の都市としては珍しく寧波観光局から日本語でのホームベージが開設されています。
天童寺全景
天童寺山門(天王殿)
天童寺仏殿前にて
天童寺方丈との歓談
道元禅師得法霊跡碑
拝登諷経の様子
古天童寺拝登諷経
古天童寺歴住墓
道元禅師入宋記念碑
天童寺拝登諷経
浄慈寺如浄禅師墓所
天童寺精進料理
花圈寿衣礼品店
毎食の中華料理
霊隠寺参拝者
https://ningbo-travel.com/access/
(参考)日本語と中国語の翻訳表
日本漢字 日本読み 中国ピンイン 中国発音
※1寧波 ねいは Níngbōshì ニンポー
※2天童寺 てんどうじ TianTongSi ティエントンスー
※3杭州 こうしゅう Hángzhōu ハンジョウ
※4阿育王寺 あいいくおうじ AYuWangSi アーユワンスー
※5霊隠寺 れいいんじ LingYingSi リンインスー
※6浄慈寺 じょうじじ ZhengCiSi ジェンツースー
※7紙銭 しせん ZhiQian ジーチエン
※8寿衣 じゅい ShouYi ショウイー
※9花圈寿衣礼品店かけんじゅいれいひんてんHuaJuan ShouYi LiPing Dianフアユアン ショウイー リーピンディエン