友引の葬儀(佐藤副所長)

さて、葬儀は友引の日は避けるとか、四十九日は三月越しはだめだとかの話をたまに聞きます。私は松江城下部と農漁村部に檀家を持っていますが、この両者では感覚が少し違うと感じています。

友引の葬儀は、城下部の方が避ける傾向が強いです。特に少し前までは縁起を担ぐ人が多く、抗議の電話が寺や葬祭業者にかかってきたりしました。それで、喪主の思いとして葬儀に来る人に嫌な思いさせないように友引を避けるというのがありました。もっとも最近は葬祭業者の都合でやむなく行う事もあるようです。

一方農漁村部、特に漁村部では夕暮れ以降なら漁も済んでいるので友引の葬儀もかまわないという考えもあるようです。「板一枚下は地獄」という環境で縁起を担ぐ漁師ですが、葬儀を伸ばして仕事を休むよりはということのようです。

また、農漁村部では四十九日の三月越しをきらいます。忌中の間は禁足で、家から出てはならないという規則が有ったせいですが、四十九日の間本当に禁足をすると、季節によっては田植えができないとか、刈り入れができないということがおこります。これで困るのは農民はもちろんですが、領主もまた年貢が減って困ります。漁村もそうです。それで、領主が庄屋や網元に命じて色々理由をつけて忌中の期間を短くさせたようです。一番有名なのは「四十九(しじゅう苦)が身につく(三つき)」という語呂合わせです。

盆にもそのようなことがあります。城下部は宮仕えが多かったようで、朝から盆休みですが、農漁村部では、盆は本来夜の行事で日没までは盆ではないということで、日が暮れるまで働かされました。今でも盆の棚経を13日の日が暮れてからにしてくれというところがあります。

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