擱筆の心情(人権擁護推進主事)

                

 当執務帖への執筆も今回が最後です。私の宗務所職員としての任期が残り一月余ですから。 この10月(2~4日)の全国人権擁護推進主事研修会でも、事務引継書作成が課題の一つでした。ですから、擱筆の心情など記(しる)します。

 4年前、私は人権擁護推進主事(以下「人権主事」)就任を固くご辞退致しましたが、適わず、浅薄な法歴ゆえの未熟さと力量欠如を晒すこととなりました。それは、自坊を巡る後継などの事情、特に晩年の師匠と自坊をご支援頂いた、教区ご寺院さまをはじめ関係各位へ、僅かでも報えるものなら晒され甲斐もあろうと、思いを致したからです。

 そして、一方で、主事の執務について考えながら、人権主事に関しては必ずしも「リード役の主事」ではなく「ボトムアップ役の主事」としての勤めも、宗務所管内の人権擁護推進のためには無意味でなかろうと、想いを定めたからです。

 

 宗務所人権主事の任務・職務は専ら管内の人権擁護推進に係る意識高揚と諸事関与(進行)にありましょうから、それらをリードすることが最大の責務であり、先導し引き上げる役割こそが望まれるところであることは申すまでもありません。しかし、仏教者として歩み始めたばかりの私の、宗務に係る意識・行動は全体レベルの足手まといにこそなれ、本来の役割には及びそうもありませんから、せめて私自身の出遅れを補い、または乗り越えることが、そのぶん、少なくとも全体レベルの底上げ、いわばボトムアップを為して、全体に寄与できると考えました。

 甚だ理屈っぽくて、しかし、気持ちの整理は、ときに屁理屈も伴います。4年前、辞退の適わぬ事態から逃れられず、窮余の末とでも申しましょうか「ボトムアップ役の主事」として就任をお受けすることで、想いの外の新たな想いを定めた次第です。これまでも、職務や仕事は、想いの外の展開が少なくありませんでしたから。 そもそも、人生はそうなんですから。

 

 しかも、私は、例えば「LGBT 」「ハラスメント」などの用語が一般的でなく、人間関係や各種活動等を通じて、いまでは批難の的となり、犯罪にさえ繋がるような、人権に対する無謀を見過ごしたり、実際に犯した世代に属しているのです。その私が、事もあろうに人権主事に就任するなど笑止千万と揶揄されもしましたが、それらも受けとめながら思いを致し、想いを定めました。この個人的な事柄と、宗門が嘗ての人権侵害事件等へのフォローに総力で取り組む、その組織課題とが、相互に繋がっていると観念できたのは、微力ながら実際に人権主事の執務を手掛けさせて頂いてからのことです。人権は勝れて個々の人の(生きる)問題であり、しかも社会全般の問題であり、組織の問題でもありますから。

 

 一方、この4年間、もとより懸念の小さくなかった未熟さと力量欠如が、宗務所業務を阻害してきたことは、大いに実感し続けてきたところです。しかし、それは、背伸びしても、空元気でも凌げませんし、むしろ混乱さえ招きましょうから、諸師諸兄のご助力や温情に支えられるしかありませんでした。それにも拘らず、そのことに鈍感に過ぎた私は、冷や汗を滲ませもせず、阻害要素を累積させたと思います。

 それにつけて、そして、この夏は猛暑でしたから、ある老僧の次のような言葉を想い出します・・「昔の偉い人は、修養で汗が出ないようにした」というのです。ところが、元来汗かきの私は、暑い汗も冷や汗も、かいては拭い、拭ってはかく、身も心も汗かきで、永年の嘗ての職場でも失敗や挫折が多かったものですから、その度に肝を冷やし、冷や汗を拭いましたが、歳を重ね、気がつけば冷や汗だけは出づらくなっていました。でも、それは決して修養ができたからではなく、加齢によって心身ともに鈍感さが沁み付いたからに他ありません。如何せんその鈍感さが、宗務所業務を滞らせていたことにも、鈍感であり続け、此処に至りました。

 

 いま最も大切なことは、想いどおりに、ボトムアップ役を果たせたかどうかです。僭越ですが、応えは「是」であると考えます。概ねこの4年間、私は及ばずながら、人権に関する宗門の組織課題を認識させて頂きましたし、個別の諸問題について(例えば国が掲げる人権分野・項目から檀信徒個人に係る個別事項まで)不十分ながら意識を向けることができました。各種の人権関連行事・学習等に関与・参加させて頂き、集積された書類・資料(映像等も含む)、書籍等の数々に触れさせて頂きました。また、人権問題の様々な(ときには被差別マイノリティたち、ときには地方行政担当者や関係団体担当者たち)関係者と、もちろん宗門人権部門の関係諸老師を始め、同志といえる全国各宗務所の人権主事諸師と、そして、重要な関連現地・現場と、それぞれ向き合わせて頂きました。当に貴重な体験であり、もっと早く適っていたなら、生活や仕事など、総じて生き方において、異なる局面や道筋に身を置き、処していたかも知れない、そうとも思える体験でした。  注

 5年前までは、もちろん数回の教区人権学習会などの機会もありましたが、ときにはおざなりに、また、ときにはなおざりに対処していたことは否めません。4年間の(人権に関わる)執務と体験を踏まえることが出来るようになって、それまでと対比して、少なくとも、確認でき又は上積みできた、私の意識と対応のありよう(レベル)に相当して、管内のレベルが上向きに作用したことは、何方へも何処へも、素直に申せます。曲がりなりにもボトムアップ役を執務させて頂くことができましたと。

 

 もちろん、有効に、万全に執務できたと申し上げている訳ではありません。人権に係る管内全般の意識や取組みの(例えば、人権標語・ポスタ―事業におけるが如く)裾野を広げて高め、全体レベルを引き上げることには手立てを尽せぬままでしたし、そもそも上述の浅薄な法歴による不備不全が、宗務における「事務」についての認識不足に直結し、加えて、自身の旧態・旧次元の事務手法が新たな事務技法・事務展開から取り残され、特に、執務に重要な“意思疎通”や“伝達”、要するに連絡・連携が真に不十分でした。

 しかし、新たな事務手法は、ネット社会の光の分野と直接に関わることが多く、今後は益々、手をこまねいたり、逃げ遂せることは出来ません。そして、一方でネット社会の影の分野にも注目できなければ執務の視野を狭め、執務の実効を損ねることになるでしょう。例えば、人権問題としての昨今の差別事象は、ネットとの広くて深い関わりが顕著です。そのことは、私も外部研修の受講効果で、認識だけは致していますので、その限りでは宗務所管内の人権に関わる認識ボトムを辛うじて支えているといましょうが、認識に留まっていては、人権擁護を推進しているとは決して申せません。

 

 例えば、「部落差別解消法」が一昨年(2016年12月16日に)公布・施行された背景にある、ネット上での偏見・差別情報の氾濫や、部落地名総鑑やヘイトスピーチの拡散など、現代=ネット社会における差別の新展開・深刻化について、私は専門家を招聘して現職研修などで(同年の同研修会で模索は致しましたが)段階的に取り組むことも致さぬまま、執務を終えることになります。ネット社会の光と影に絡んで、取組みの姿勢、手法のいずれに関しても、自らの力量を補うべく、新旧(世代)ギャップを埋める努力を為すべきでしたが、ギャップの中に身を沈めたままでした。

 現場の日常檀務では、ネットと良くも悪くも関わらない、または中途半端にしか関われない旧世代が多くて、後ろ向きに寄り添うほうが皆さんと和めますが、それらの、いわば情報マイノリティが、ネットと無関係ではない悪質な詐欺の被害者となっているのも憂うべき事態ですから、これからの宗務所執務には新旧ギャップを埋め、ネットを意識した効率的な手法展開が必要であり、次代の為に当然の進路だと思います。人権に関わる執務も例外ではありません。

 

 いずれにしまして、新旧のギャップに自身を沈め、潜めていた私の、やり損ないとやり残しにつきましては、関係各位にお詫びするしかありません。正規手続きによって定められた本年度事業計画の未達事項は(年度途中での交代ですから)次期へ引き継がなければなりません。敢えて記しますと、営利事業ではなく宗教活動ですから、事業計画の執行は裏付けの予算を大前提に(現場檀務展開の非定型な個別性にも配慮し)、緊急事態は別として、枠組みが膨らみ過ぎるのも、低迷したり未達成となるのも、できればいずれをも極力避けてこそ組織運営として適切妥当と思われます。計画枠外の事項はもとより、未達事項を、自らの残り僅かな任期で収束させようとすれば却って(宗務所執務全般に)無理を強いて、執務のための執務に陥りかねません。引継ぎにおいても即応と漸応を組み合わせ、宗務所執務の継続性を維持できるよう願い、その態勢を残任期において整備すべきでありましょう。

 以上のような心境に沿って、私見を許されますならば、私のようなボトムアップ執務と、活力と力量に満ちたリード執務の、両極の間の、後者寄りに立場する新任主事に、執務を引き継がせて頂くことが、組織運営の流れとしては前向きであり自然であろうと願い、思って止みません。 以上が擱筆に当っての、いまの心境です。 有難うございました。

 注 多くの貴重な出合い・体験のなかから、現地、資料、人(指摘)について、それぞれ、

   私が心揺さぶられた中から、敢えて一例ずつを紹介しようと思います。

(1) 福島県浪江町請戸小学校(大震災・原発事故のため校舎は「臨時の休み」状態)の壁に残る

  『太陽光発電システム』パネル

 

  「子ども支援の現場から被災地復興を考える」をテーマに、昨年2月(14~16日)参加した

  全国人権主事研修会における現地学習で訪れた浪江町・請戸小学校。大震災の被災、特に、

  近接する東京電力福島第一原子力発電所の原発事故により指定された避難区域内にあり、復

  興から取り残されているが、大地震発生当時の、先生と生徒が一丸となっての高台への避難

  行動や、取り残された教材など校舎の現状などが紹介されることが多い。そのなかで、校舎

  の一角、壁に掲げられたまま歪んだパネルの『請戸小学校太陽光発電システム』の文字と絵

  図面を目の当たりにして、原発事故の現地が訴えようとする悲惨さを感じた次第である。

 

 (2) DVD「シリーズ映像で見る人権の歴史」<市民のための人権大学院(運営協議会・関西大

  学社会学部内)が制作した人権啓発教材>

  特に第6巻『日本国憲法と部落差別』(上杉聡・外川正明監修)は、一昨年の現職研修の人権

  学習講師外川正明鳥取環境大学名誉教授も関わる労作でもあり、部落差別(解放)に関する再

  確認のためにも、新たな学習のためにも、部落差別解消法が成立したいま、そして、憲法(改

  正)論議が喧しい政治情勢との関わりに鑑みても、重ねて学習吟味する意義が認められる。

 

 (3) 平成27年3月(私にとっては初)参加の全国人権主事研修会で、講師の本荘廣司人権啓発相談員老師(平成28年遷化)によって「僧(侶)力と人権」に関し『よい葬儀に努めよう』というご指摘があった。この指摘は、儀礼の定型簡略化・直葬化、・寺院離れの進む世相に(擦り寄らず)向き合うための、人権を念頭に据えた心機として受けとめることができると思う。

        (人権擁護推進主事 山口完爾)

 

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