平成二九年も残りわずかとなった師走の中、自分の年齢についてぼんやりと考える。前回の執務帖(平成二九年九月)で公表した私の年齢は、三八歳。まだまだ若いつもりでも、スポーツ選手なら体力の限界などの理由で競技生活から引退するような年齢である。
昔のアルバムを見ると、現在の私の姿からはまるでかけ離れた異常にかわいい私がいる。幼い頃に「かわいい、かわいい」と言われた記憶は、うっすらと残っている。しかし、アルバムを何冊か見ると、その絶頂期が〇~五歳くらいの間であったことに気付かされる。人は外見ではないと思うが、かわいさ・美貌の絶頂期が三〇代になったときに訪れていれば、現在の婚活氷河期状態を迎えていなかったかもしれない。
人には、「満」と「数え」の二つの年齢がある。私の誕生日は六月二一日だから、半年ごとに「満」と「数え」の年齢を重ねる。来年は数え年四〇歳、満年齢三九歳となる。
「四十にして惑わず」
「アンチエイジング」という言葉があるが、時計の針を止めることや加齢に抗うことはできない。体力は落ちるかもしれないが、年齢を四十も積み上げてこられたのは、もちろん私一人の力ではない。普段、一人でいるからこそ今お世話になっている人、今までにお世話になった人の顔が常に浮かぶ。
満年齢三九歳の来年は、「サンキュウー(ありがとう)」という感謝、そして今まで以上に「参究(参禅し、真理を究めること)」を目標としたい。
そして、数え年四〇歳。四十になれば惑うことはないのだろうか。年齢を重ねたからこそ分かること、できることがあるのではないだろうか。年齢を重ねるということは、私にとって魅力的なことだ。今までできなかったことが、年齢を重ねたことによってできるということがあるかもしれない。四十には、そんな憧れがある。
「ディケイド・オブ・デカダンス」
かけられても応えられない期待を背負いながらも、四〇代の一〇年紀は、魅力的なものに違いない。「魅惑の不惑」に、いざ突入する。
(書記 佐野晃孝)