前回の続きとなりますが、世界的なダージリティとして有名な紅茶の産地でもあるインド西ベンガル州ダージリンを訪れたもう一つの目的として、ダージリンにあるチベット難民センターをどうしても訪れたいとの目的がありました。
ダージリンはインド北西の中国との国境付近の標高約2,000mの高地にあり、ダージリンの北方ヒマラヤ山脈の一部K2(カンチェンジュンガ)の山向こうは中国西蔵(チベット)自治区に接しています。ブータンの首都ティンプーにも直線距離にして僅か150㎞の所にあり、チベット族やチベット仏教を信仰するチベット系住民が多数を占め、数多くチベット仏教寺院もありチベットとは昔から深い関係にあります。
K2(ヒマラヤ・カンチェンジュンガ)の向こうはもうチベット!
ダージリ最大のチベット仏教寺院
チベット難民センターはダージリンの北方にあり、中国チベットからダライ・ラマ14世に続きヒマラヤを越えてインドへと逃れたチベット人の自立支援の為に1959年に世界各国の援助とボランテテアにより設立された施設で、ここには現在2人の日本人看護師がいるはずでしたがお会いする事は出来ませんでした。内部には、伝統工芸品を作る工房のほかに学校や僧院などの施設があり、今やダージリンで暮らす約650人ものチベット人が暮らす生活拠点ともなっています。
壁にはTIBETAN REFUGEE SELF HELP CENTRE DARJEELIN
ダージリンのチベット難民支援センターとなっていた。
難民支援センター内の居住区
私が訪れた時はたまたま日曜日でチベット人学校は休校をしていましたが、グランドの片隅に12~3歳前後の少女がひとりでボール遊びをしていました。近寄って話し掛けようとしましたが、私はチベット語どころか日本語も怪しいので身振り手振りで何とかきっかけを作ろうとしました。ところが、その少女から突然「你好(ニイハオ・nihao)」「こんにちは」と話掛けてきました。どうも私を中国人だと思っているようで、「日本(リーベン・rìběnrén)」と答えてもいっこうに中国語で話し掛けて来ました。チベット語は中国の公用語ではありませんので翻訳アプリでは翻訳が出来ませんが、中国語(中国標準語・北京語)が理解出来るのであればスマホの翻訳アプリで何とかなるのではないかと思いました。彼女は昨年(2016年)チベット(西蔵)自治区の日喀则(シガチェ・Rì kā zé)から両親と別れて、ヒマラヤを超えて10日間掛けてネパールに入り現在はここ(ダージリン)に来ているとの事でした。現在、チベット自治区内の学校ではすべて中国語で授業が行われており、すでに半数以上の子供たちがチベット語を正確に話せなくなっています。チベット自治区内ではチベット仏教の僧侶によって私費でチベット語の学校が開設されていますが、即刻当局により閉鎖されているのが実状で、この難民センターではチベット語の再教育も行われていますが、自国のチベット語が消滅すればチベットの文化やアイデェンティテイーも消滅の危機にあるのは当然の事です。結局彼女の年齢を聞きそびれてしまいましたが、別れ際に「再见(サイチェン・zài jiàn)」「さようなら・また合いましょう!」と笑顔で声を掛けてくれました。再会した時にはチベット語が話せるようになっている事を念願しつつチベット難民センターを後にしました。
「ヒマラヤを越える子供たち」ドキュメンタリー{予告編}