宗務所行事の舞台裏(教化主事)

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11月13日の梅花流地方大会(於 島根県民会館)、11月17日の禅をきく会・檀信徒地方研修会(於 雲南市加茂文化ホール・ラメール)。立て続けに催された大きな宗務所行事。今回はその舞台裏を、少しだけ紹介します。

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ステージを使った動員型の行事。その準備で一番重要なのが、「ばみり」です。

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地べたに這いつくばって何をしているかというと、舞台上の立ち位置や椅子、マイクスタンドなどの位置を、予めビニールテープでマーキングしています。

演劇やテレビの業界で「ばみり」と言われる作業ですが、これをきちんとしておかないと、「いざ本番」となった時に、何をどこに置いてよいか分からず、右往左往してしまいます。ステージ上での転換や所作が恭しく厳かに見えるのは、実はこのような地味な段取りのおかげなのです。

 

 

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↑ 島根県民会館のスタッフの方が、ぶ厚い座褥が珍しかったのか、「座ってみてもいいですか?」とおっしゃったので、「本当はだめですけれど、特別に今日だけ」と伝えると、思い切りご本尊に背中とお尻を向けて座られてました(笑)

 

 

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今度はラメールです。所長のご挨拶の裏で・・・

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坐禅人のスタンバイです。

火の用心。煩悩の火を消しましょう。

 

 

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「ばみり」同様、宗務所行事の準備で重要なのが資料作りと袋詰めです。檀信徒地方研修会では護持会の方々にもお手伝いいただきました。

 

 

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最近はどこの会場も、喫煙は場外になりました。寒空の下、しばしの憩い。

「禅力Tシャツ」が目に映えます。

 

 

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「禅をきく会」の講師をお勤めいただいた井沢元彦氏。

会場に入られた時から「ずいぶんラフな服装だな。本番ではお着替えでもされるのかしら」と思っていたら、そのままの服装でご登壇。その真意は講演中にも触れておられました。

取材や移動はいつも同じような軽装なので、講演でも取り繕わず、いつもの服装で臨まれるとの。

実は、普段は作務衣を着ることも多いそうですが、「曹洞宗さんに媚びてるように思われたくなかった」ので、この日は作務衣は着てこられなかったとのこと。作家らしい反骨心がかいま見えました(笑)

講演中の演台には、手のひらサイズのメモが一枚、そこに数行のキーワード。1時間半の講演でご用意された資料はそれだけ。

しかも会場に入られた時は、講演時間も正確に把握されておられませんでしたが、所定の時間内できちんを収めるあたり「さすが場慣れしておられるな」という印象を強くしました。私が司会原稿を一言一句間違えないようにゆっくりと読んで、結果的に尺が入りきらなかったのとは大違いです。

 

 

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講演後、宗務所役職員と郷原護持会長は、井沢氏と松江市内でお食事をし、親しく歓談させて頂きました。

驚いたのは「騒動宗」という〝隠語〟をご存じだったこと。

実はある時期まで、曹洞宗内では永平寺派と總持寺派による主導権争いが激しく、江戸時代には公事(民事裁判)による仲裁が図られたこともありました。それを揶揄した「曹洞(そうとう)宗」ならぬ「騒動(そうどう)宗」という隠語が、主に近代の日本仏教史で用いられていますが、それを持ち出されるとは、さすが当代随一の歴史作家。歴史の裏も表もよくご存じです。

「やっぱり曹洞宗は〝騒動宗〟なんですか?」とのご質問に「今は違います!」とお答えしておきました。何と言っても当宗務所は「雲國両山会」ですから。井沢氏も両山会の存在には興味を示しておられました。

 

 

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最後は余談になりますが、「禅をきく会」の数日後、修業時代の仲間の結婚式(披露宴)に参加しましたが、何とお相手が神社の跡取り娘、神職の方でした。異教和合の究極だと思います。

井沢氏から、「パリ同時多発テロ」でのキリスト教とイスラム過激派の「相互全否定」、日本での神仏の補完関係についてお話を伺った後だけに、その尊さに胸が熱くなりました。日本人はこれで良いんです!(教化主事 板倉省吾)

 

 

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